Jeffrey

スリーパーズのJeffreyのレビュー・感想・評価

スリーパーズ(1996年製作の映画)
3.8
「スリーパーズ」

〜最初に一言、クライムストーリーとリーガルサスペンスを巧みに調和して感動のヒューマンドラマに仕上げたレヴィンソン監督の秀作の1本。今となってはオスカー俳優にもらった多くの役者が勢ぞろい。本当か嘘か、信憑性を問いたくなるほどの残酷極まりない実話を基にした作品である〜

冒頭、1966年のヘルズキッチン。ニューヨーク、マンハッタン。4人の少年は悪戯をし、少年院に入れられた。そこでのレイプ、拷問、暴力、独房、喧嘩、復讐、精神は10年以上経った頃に爆発する。弁護士、地方検事、神父、マフィア。今わ清算の瞬間がやってくる…本作はバリー・レヴィンソンが監督、製作、脚本を務めた1996年の米国映画で、この度BDにて再鑑賞したが面白い。原作はロレンツォ・カルカテラで、4人の少年がホットドックのスタンドを盗み、それを地下鉄に投げ入れてしまったことから、思いもよらぬ事件へと発展しく物語で、この間やっとBD化された「マイフレンド・フォーエバー」を見ていたら、そういえばブラッド・レンフロこの作品の子供時代に出てたなと思い久々に見たくなり鑑賞した。今思えば豪華なキャストが出演している。ケヴィン・ベーコン、ロバート・デ・ニーロ、ダスティン・ホフマン、ジェイソン・パトリック、ブラッド・ピットなどなど。本作はゴールデン洋画劇場(フジテレビ)で地上波されているのにこのBDには吹替が入っていないのが残念だ。

本作はニューヨークdailynews元記者の描いた小説が全米を震撼させて話題になり、彼らの暴力と虐待の世界へと追いやった事件を描く衝撃の物語として当時話題になっていた。その小説が出版されるや瞬く間に大ベストセラーとなり、リアルでショッキングな内容は作者の体験に基づくトゥルーストーリーとして紹介され、あまりの衝撃の大きさで、出版界を超えて事実の信憑性が世間で大いに議論されることになったそうだ。確かにこの映画を見ると本当にフィクションなのかノンフィクションなのか疑いたくなる気持ちもわかる。何せ、すごい事件なのだから。そうした中、この小説が出版前の段階でボルチモア・ピクチャーズの代表バリー・レヴィンソンが一読した瞬間に、その熱い男たちのドラマが気に入り、「ワイルド・アット・ハート」「ツインピークス」等のヒット作を生み出したプロパガンダ・フィルムを介して、激しい争奪戦の末、新人作家のものとしては異例の200万ドルと言う金額で映画化権を獲得したことも大きな話題になった。

ちなみに"スリーパーズ"と言うタイトルは少年院に9ヶ月以上収容された人々を指すスラングのようだ。少年時代に受けた心の傷を引きずった若者たちの友情と復讐。そしてヘルずきっちんと言う街の掟と絆。この衝撃のドラマが豪華なキャスティングとアカデミー賞受賞実績のあるスタッフの手によって完成したのだ。それにしても当時はまだ超売れっ子ではなかったピットを始め、配役はまさに夢の共演だろう。見事なアンサンブルキャストと言える。原作者の分身であるストーリーテラーであるシェイクスに若手実力派のジェイソン・パトリックが演じており、本作の演技が認められ、次回作に「スピード2」の主役が決定したのは言うまでもない。4人組のリーダーであるマイケルには「セブン」「12モンキーズ」と立て続けにヒット作に出演し今やオスカー俳優ともなったブラッド・ピット、残忍な看守役を演じるのは性格俳優として名を残しているケヴィン・ベーコン。

そして何よりもアカデミースター2人の顔合わせがこの映画で初めて実現したのは映画ファンにとっては歓極まることだろう。スナイダー弁護士に「クレイマー、クレイマー」「レインマン」で2度のオスカーに輝くダスティン・ホフマン。ヘルズキッチンの良心ボビー神父に「ゴッドファーザーpartⅡ」「レイジング・ブル」で助演と主演のオスカーを獲得したロバート・デ・ニーロが脇をしっかり固めている。この作品は2時間半の長丁場を一気に見せてしまう演出がなんといっても評価できる所だ。そしてうまくドラマのジャンルを調和しているところも素晴らしい。そして音楽はジョン・ウィリアムズなので緊迫したドラマを盛り上げてくれている。前置きはこの辺にして物語を説明していきたいと思う。



さて、物語はニューヨーク市の南は35丁目から北は56丁目まで、東は8番街から西はハドソン川までの地区について語られている1つの伝説がある。アイルランド系の警官が2人、西39丁目で起きたちょっとした暴動を眺めていた。新人が言った。この界隈は地獄ですね。地獄なんてまだまだおとなしいもんだと先輩が答えた。ここはヘルズキッチン(地獄の調理場)さ、全くのところ。1960年代半ばにこのストリートで育った4人の少年にとっては、ヘルズキッチンは腐敗によって統制された無害な場所だった。彼らは司祭たちとギャングたち両方の導きで楽しく夏の日々を過ごしていた。だが、そこには決して破ってはならない神聖な社会ルールもあった。すなわち同じ地区に住む者への犯罪行為は厳禁だったのだ。もしそうした犯罪を犯せば容赦ない制裁が下された。そして場合によっては、それは死を意味した。

1960年代。ニューヨークはマンハッタンの西側35丁目から56丁目あたりは地獄の調理場と呼ばれ、この街の中で4人の少年たちはいつも一緒だった。小柄だが気の強いジョン、穏やかでおとなしいトミー、読書好きで年下のシェイクス、そしてグループのリーダーで学業も優秀なマイケル。ヘルズキッチンとはあちらこちらからの移民たちが集まった街、皆、日々の暮らしは過酷で荒んだ環境、町は警察も手を出せないような非合法のまかり通るところなのだが、1つの秩序が存在し、住民たちは掟の中で守られていた。少年たちにとっても冒険や悪戯の自由が利くところでもあった。街のボスはキング・ベニー。今は酒場の主人に収まっているが元マフィアの顔役。4人は時々、小遣い稼ぎの仕事をさせてもらっていた。ボビー神父は少年たちのよき相談相手。昔は町のチンピラだったが、今では優しい4人の理解者である。これらの人々に囲まれて、貧しいながらも少年たちは幸せだった。あの夏の日までは…。


1967年夏、その日はとても暑い日だった。4人は暑さを紛らわせようといつものゲームをすることにした。それは1人がホットドッグの屋台でお金を払わずに逃げて、主人が追いかけていく隙に他の者たちがホットドッグをいただくと言う他愛もないものだった。しかしその日に限って屋台を隠そうと言ういたずら心が働き、地下鉄の入り口まで引っ張っていったところで手を滑らせて階段から落としてしまい、運悪く通りかかった紳士を押しつぶして重症を負わせてしまった。裁判官から1年余りの少年院行きを宣告された4人。少年たちの苦難がその日から始まった。4人が収容されたのはウィルキンソン少年院。ここは750人の若者たちが収容されていた。そしてこの少年院で4人を待ち受けていたのは残酷でサディスティックな看守達だった。中でも班長のノークスは自らの力を誇示するように少年たちに襲いかかった。

昼間は見せしめのための暴力を加えられ、夜にはもっと恐ろしいことが行われていた。ノークスをはじめ3人の看守が欲望のはけ口に少年たちをレイプしていたのだ。4人の少年たちは身も心もズタズタに傷つけられ、このことは4人だけの秘密にすることを決めた。出所の当日まで、ノークスたちによる暴行と虐待は続いた。このことは4人の将来に大きな影を落とすことになった。1981年、あれから10年以上の時が流れた。成人した4人はそれぞれ別の道を歩き始めていた。ジョンとトミーはマフィアのメンバーに、シェイクスは新聞記者に、そしてマイケルは地方検事補になっていた。ある日、ジョンとトミーは街のレストランで偶然1人で食事をするノークスを見つけ、このときばかりとその場で射殺してしまった。2人の裁判が始まった。なんと検察側の担当検事はマイケルだった。

だがマイケルはシェイクスと裏で連絡を取り、この裁判を利用して過去を封印したまま、当時の看守たちに復讐することを企てていたのだ。それは、ジョンとトミーの無罪を勝ち取り、残った3人にも制裁を加えようと言うものだった。少年時代の犯罪記録はすでに抹消されており、4人とノークスたちを繋ぐ線は切れている。裁判のシナリオはすべてマイケルが書き上げた。次はそれを忠実に演じる弁護士を雇う事だ。シェイクスはキング・ベニーに相談をしてアル中のスナイダーを雇った。もしこの裁判に負けるようならば、命の保証は無いとキング・ベニーはスナイダーを脅した。シェイクスは幼なじみのキャロルの手を借りて検察側の承認を1人ずつ落としていった。しかし最後に残った2人の証人を切り崩すことができなかった。それならばジョンとトミーの当日のアリバイを作るしかない。

それには信頼できる人物の証言が必要だった。ボビー神父、彼以外には考えられない。シェイクスはキャロルとともに神父の元を訪れた。聖職者であり、裁判の証人として宣誓するものとして嘘をつくことができない。だがシェイクスはそこで今まで誰にも話すことのなかった、少年院で受けた屈辱と暴行の数々を始めて打ち明けた。そして判断をボビー神父に委ねた。裁判を進み、マイケルの練った筋書き通り3人の元看守たちにも復讐が行われていた。ある者はマフィアに処刑され、ある者は汚職と殺人で検挙されて、またある者は裁判の証人として出廷し過去と性癖を暴かれた。後はジョンとトミーの無実を勝ち取るだけだ。最終弁論の日、運命の舞台についにボビー神父が姿を現した。そして事件当日、ジョンとトミーと一緒だったと証言を言った。いよいよ審判が下される時が来た。そして4人にとっての忌まわしい過去との決別、清算の瞬間がやってこようとしていた…とがっつり説明するとこんな感じで、アメリカの1つの悲劇として描かれており、些細な出来事が運命を永久に変えてしまい、少年たちの取り返しのつかない傷を描いていく。



いゃ~、今思えば「告発」でサディスティックな暴行受けていたケヴィン・ベーコンが、本作では逆にサディスティックな暴行を行う側に立っている。彼は悪役が非常に合う男だが、「告発」同様にやられる側の役も非常にうまい。それにしてもヘルズキッチンと言う場所で生きていた子供たちが、ニューヨーク州の北部の少年院で18ヶ月も過ごすようなことになり、肉体的、精神的地獄に対して何の備えもできていなかったのが少しばかり引っかかる。この無法地帯で育ってきた彼らが、あっけなく大人たちの餌食になってしまうのが少しばかりショックだ。ニューヨーク市地方検事事務所によれば、1967年に訴訟された青少年銃犯罪は2682件で、その4年後、重罪に問われて逮捕された16歳以下の青少年の数は12,772名になっていたそうだ。罪の種類は車泥棒、強盗から家出に至るまで多岐に渡ったが、リハビリテーションの方法は常に1つだったそうだ。州社会事業局はそれをトレーニングスクール(直訳すれば訓練校、少年院の事)と呼んでいた。

青少年犯罪者のレッテルと言うものが当時あったらしく、それは保護観察処分=青少年犯罪者と言う意味で、彼らをスリーパーズと呼ばれるようになったのも67年からだそうだ。州の施設に9ヶ月以上収容される判決を受けた青少年を指す地域独自のスラングだ。そういった少年院で起きた深刻な虐待の記録が全国に何十例もあったというのが後にわかり、中でも特にひどいのがテキサス州のゲイツビル少年院の事例だったそうだ。70年代初頭になって判明したことだが、そこでは多くの青少年が、連日のように体罰を受けたり、一度に数週間も独房に監禁されたり、狭い独房で催眠ガスを使用されたりしていたそうだ。実際劇中にもそういった場面がある。ちなみにルイジアナ州の州立青少年職業訓練学校スコットランドウィルでも体罰が常習的に行われていたことが判明している。そこの少年たちはベルトやホースを使った虐待行為を受けたり、眠る場所もなく、新鮮な空気も光も乏しい穴蔵で何週間も過ごすことを強要されていたそうだ。1973年、ミズーリ州のブーンウィル州立少年院の若い収容者たちは、深刻な体罰とともにスタッフによる強制猥褻行為があったことを告白している。

さらに別のニューヨーク州立少年院であるゴージェン・アネックス・フォーボーイズでは、独房監禁、手足の拘禁、精神安定のための薬物投与が行われていたことも明らかになっている。そうすると本作は決して刑務所制度に対する告発ではないことがわかってくる。だがチェックされることのない権力に対して疑問を提起する映画とも言える。少年院にしろ、精神病院にしろ、老人ホームにしろ、そういった権力を与えられた人が、そこでそれを見て見ぬふりをするかもしれないわけだ。今となっては監視カメラが重要な証拠になるためこういった事件はすぐに明るみに出るが、当時はそうはいかなかっただろう。4人組の少年たちが鑑別所に入れられ、食事時に喧嘩して自分のランチを床にばらまいてしまい、ケヴィン・ベーコン演じる看守の男がそこに対して虐待的な事する場面は強烈である。そんでブラッド演じる少年1人が反抗的に喧嘩する場面も、やはり彼は反抗的な子供を演じるのが非常にうまい。

今思えば「マイフレンド・フォーエバー」と「17 セブンティーン」で2度来日しているが、後者の作品は未だにVHSのまま。かなり昔に見たけどいい映画だったのに残念だ。この映画には唯一の女性が現れるのだが、彼女はイギリス人女優のミニー・ドライヴァーで、非常に男臭い映画の中に花を咲かせてくれていた。この作品の特徴の1つにカットバックやフラッシュバックを使いながら描いているのが多く見られる。ところで原作を読んでいないからわからないが、映像表現としてレイプシーンを見せていないのは敢えてだろうか…やはりどぎつい場面を観客には見せたくはなかったと言う監督側の配慮だと感じるのだが、映像としては見やすい演出になっているから逆に良かったんだろうなと思うし、このようなレトリックがこの映画の良さの1つだ。本作は59分までは子供時代で、そこからは大人時代へと変わる。時間的なバランスも程良い。

最後に、この映画は青春映画としても見られるが、法定劇や復讐劇としても見られる社会派ドラマである。それからこの映画に出てくるサウンドトラックは素晴らしいものが多い。フォーシーズンズの大ヒット曲からジョーダン・ベイスマンだったり、ビーチボーイズ、ポップチューンでヒットした名曲が流れてくる。
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