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蘇える金狼のodyssのレビュー・感想・評価

蘇える金狼(1979年製作の映画)
3.5
【前野曜子の歌】

リアルタイムで見損ねた映画の一本。

この映画の見どころは松田優作、そして恋人役の風吹ジュンであろうが、大きく捉えるなら「時代」かもしれない。

松田は一見しがないサラリーマン、だが実は多額の現金を銀行から強奪し、なおかつ会社内での立身出世を狙う男を演じている。しかし松田の持ち味にふさわしく、どこかニヒルなのである。純粋に立身出世を志向するなら、愛人としての風吹ジュンは利用価値もなくなったことだしさっさと捨てればよさそうなのに、なぜか躊躇してしまう。ではいわゆる本物の「愛」を彼が感じていたのかというと、その辺も分からない。多分、自分でも分からないのだろう。虚無的な意識が消せないというのは、その辺の中途半端さからも伝わってくる。

風吹ジュンはベッドシーンではちゃんと肌をさらし、おっぱいも揉ませ、健闘している。女優になるからにはこのくらいやらなきゃダメだよ、と昨今の根性なしの女優たちには言いたい。

70年代終わり。日本が十分豊かになり、やがてバブルに向かう時代。この映画に見える日本は、物質的には恵まれていながらも昭和30年代のようながつがつした活気を欠いている。悪役もスケールが小さいしこざかしい。作中にニヒリズムが漂っていると感じられるのは、松田優作の個性のためだけでなく、そのせいもあると思う。

エンディングで前野曜子の歌が流れるのが、当時を知る世代からするとまさにあの時代を切り取ったという印象を強めている部分ではないか。ペドロ&カプリシャスの初代ボーカリストだった彼女は、女優にしたいくらいの美人だったが、なぜかこのグループが売れ始めた70年代前半に辞めてしまいアメリカに渡った。当時、黒人の恋人を追っていったのだという噂が流れていたと記憶する。それが本当かどうかは知らない。この映画では、アメリカから日本に戻ってきた頃の前野が歌っているけれど、芸能界での栄光をあっさり捨てた彼女の生き方は、この映画のニヒリズムにどこかでつながっているような気がする。
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