紅蓮亭血飛沫

容疑者、ホアキン・フェニックスの紅蓮亭血飛沫のネタバレレビュー・内容・結末

2.2

このレビューはネタバレを含みます

言わば本作は、彼、ホアキン・フェニックスが起こした正気の沙汰とは思えない暴動の数々を、リアルタイムで見守っていた民衆向けファンムービーです。
勿論、当時の彼の行く末を知る由もなかった私からすれば、彼が当時こんな事をしていたという事実に惹かれはするのですが、結局のところ本作を視聴するに至って、“有名俳優が時間も金もかけてでっち上げた一大ドッキリ”というネタ晴らしを聞いた上で鑑賞しているわけです。
当時のホアキン・フェニックス氏の行く末をリアルタイムで見守っていた人々と同様の心境になれない、言わば当時の民衆とリンクし、目の前の光景を楽しむライブ感が欠如している、これが大きいですね。
この映画を見ようとした時点で、どう足掻いても視聴者は既に始末を終えた後の祭りを後追いする事しか出来ない。

とは言っても、本作がフェイクドキュメンタリー風、モキュメンタリー映画として制作されている以上、視聴者が求めるものは“この一大ドッキリを仕掛けた当事者がどんな経緯と末路を歩むのか”という興味本位からの好奇心が強いでしょう。
ですから、何だかんだで最後まで鑑賞しました。
全部演技だったとはいえ、どんどん追い詰められていき自暴自棄になっていくホアキン氏の姿はかなり痛々しく、一体どこからどこまでが演技なのか見当もつきません。
冒頭で「もうみんなが待ち望む“ホアキン・フェニックス”を演じるのは疲れた」と本人の口から述べられていましたが、強ち演技でもない、彼がこの企画を実行するに至った本音なのかな、とも。

甲乙つけがたい、というか判断に困る奇妙な映画です。
個人的な結論としては、先程も述べたように冒頭の台詞が全てではないかと推測しました。
ラストシーンに至るまでのホアキン氏の疲労困憊な姿や、父親と仲睦まじく散歩する様は何とも不思議な、愛おしさすら覚えてしまいます…。

与えられた役を精一杯演じる役者の姿は、多くの人々を魅了する素敵な人間に見えてしまいがちですが、役者自身が“大衆が喜ぶ役者像をキープし続ける事で、自分が分からなくなる”という悩みにぶつかった際、我々はどうすれば良かったのでしょうか。
あの言葉が嘘なのか本音なのかは知る由もありませんが、役者という仕事だけに留まらない、この現代社会で生きるに至って人当たりのいい化けの皮を被らねばならない人々へ、思いを馳せずにはいられなくなりました。