“普通”の定義をマジョリティとするなら
彼は“普通”ではない。
そんな境遇の中で
自分の短所の多さに溺れることなく
彼は自らの長所を生かしてみせた。
勿論誰しもが彼の様に自分が輝ける場所を見つけられる訳ではない。
運にも左右されるだろう。
けどその場所はきっとある。
どこかにきっと。
そして誰しもにとって幸が不幸と隣り合わせであるように
彼の人生もそうだった。
そういう意味では彼も私達と何ら大差のない
“普通”の人間なのかも知れない。
ああ
彼をみていると
ただただ無性に走りたくなる。
今という時間の一過性を確かめるように
リアルへの不満を全て吐露するように。
そして走り出すと
全てが馬鹿らしくなって
実際にその思いは正しくて
それに気づけない人々は馬鹿で
きっと私達は小さい。
そんな思いに駆られる。