初代ゴジラが発表された1954年は第二次世界大戦後の復興の真っ最中で、疲弊した日本国と国民が徐々に再生し、復興への希望を見出していた時期。一方で、米国による水爆実験や第五福竜丸事件など、核への恐怖が再燃していた時期でもある。
『ゴジラ』はそのような得体の知れない恐怖感を体現し、破壊による平和の崩壊と無力感を国民に再認識させた作品であると言える。
また、ゴジラは平和を無条件に享受する戦後日本国民に対する警告であると解釈できる。ゴジラはフラッシュを発する近代技術を破壊しながら進行したが、その襲撃ルートは東京大空襲でのB29爆撃機の航路を沿っている。
芹沢博士の「原爆対原爆、水爆対水爆、その上さらにこの恐ろしい恐怖の兵器を人類の上に加えることは、科学者として、いや一個の人間として許すわけにはいかない」という台詞から伺えるように、戦争の否定と技術の発達という両義性を孕んだ上で平和と暴力のあり方を問い、ゴジラを恐怖の象徴たらしめたのが初代『ゴジラ』であると言える。