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ぐるりのこと。のkojikojiのレビュー・感想・評価

ぐるりのこと。(2008年製作の映画)
4.2
No.1614
2008年 監督・脚本・原作 橋口亮輔

日本映画の傑作は、真っ直ぐに心に突き刺さる。邪魔するものがない。それはあまりに直接すぎて時に戸惑ってしまうこともある。この映画なんか、特にそうだった。まさに「ぐるり」で起きていることがストレートに心に響く。

 レビューとは関係のない話だけど、私の長男は生後2週間で亡くなった。新婚一年目の話だ。私は医師の診断を聞いた時、助かるものなら、自分の片手、片足を差し出しても構わないと真剣に考えていた。(流石に両手両足とは思わなかった😅)医師がそう言ったわけでもない。笑い話のような話だけれど、自分で勝手にそう決めていた。言われたらすぐにOKすると。
 息子は、私の手足を取ることもなく、奇跡を起こしてくれなかった。妻はこの映画の翔子のような姿になった。激痩せし、何かあれば、一人泣く日々が1年続いた。

「私にそんな未来が待っているなんて、夢にも思ったことはなかった。」妻は当時を振り返って、時々こんなことを言う。
夫婦にはそんな辛い時期もある。遠い昔の話だ。

 リリーフランキーが、一見ダメ亭主「カナオ」を飾ることなく自然に演じて見せる。自然体で生きる人の強さみたいなものを次第に感じてくるから面白い。
 しっかりものだけに、ひとつ歯車が狂い始めると全てが崩れていく弱い妻翔子を木村多江が演じている。彼女の壊れていく姿は側から観ていても辛くなるぐらいに上手い。この二人、この映画から切り取っても夫婦に見えるに違いない。それぐらい息があっている。
出産が間近に迫ったある日、二人肩を並べて家に帰る途中、翔子が歩きながらカナオの背中のシャツをそっと握り締めるシーンがある。「貴方に頼って生きていく」そんな翔子の気持ちをこんな描き方をしてみせる。すごく好きなシーンだ。

 彼女の崩れた心、行き詰まってしまった夫婦の関係をダメ亭主がバズルをはめ込むように一つ一つもとの二人に戻していく。自然体で。行き詰まったと思っていたのは妻の翔子だけだった。カナオはしっかり翔子を見守ってくれていた。翔子ははっきりとそれを確信していく。
 
 夫婦の歴史、それは短いようで長い。
いろいろなことがある。それを静かに味わえる年になった。この映画を観ながらそんなことを思った。
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