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カールじいさんの空飛ぶ家のHAMUのレビュー・感想・評価

カールじいさんの空飛ぶ家(2009年製作の映画)
5.0
ピクサーNo.1、すなわち僕の人生ベスト映画No.1映(のひとつ)です。記念すべき僕のFilmarksレビュー100作品目は原題「UP」こと「カールじいさんの空飛ぶ家」に決まりました。万歳。

この映画の冒頭15分、カールとエリーの結婚から別れまでをサイレントで演出するシークエンスがとにかく感動的なのです。手際よく出来事が語られており、引き込まれてしまうので気づかないかも知れませんが、ここは伏線を張る場面としての役割としても良い働きをしています。例えば、カールじいさんがあの家に執着する理由、子供を作らずに、エリーの事だけを考えて生きてきた理由、すなわちエリーが死んでしまった後にカールじいさんがあれだけ淋しくなってしまった理由など。また、ここで描かれるエリーの人生自体が後の物語の伏線でもあります。ただ「結婚した、死んでしまった」という出来事としてのみ捉えるのではなく、サイレントの中でも描かれている、キャラクターの一連の心情を深く読み取ることで感動が数倍アップする映画だと言えます。

カールじいさんの日常パート。妻エリーとの別れを乗り越えられないまま孤独に過ごす様子が描かれます。完全に工事現場の中心にある家の描写などコミカル調に描かれているパートですが、工事現場の従業員を殴ってしまってからは一気に「現実」を突きつけられます。家からの立ち退きを命じられたのです。追い詰められたカールじいさんは、風船で家を飛ばすという、文字通り「夢」のような方法で「現実」から脱出し、エリーとの約束の地である南アメリカ「パラダイスの滝」へと向かうのでした。このシーンは「カールじいさんの空飛ぶ家」の代名詞と言っていいほど
「カールじいさんといえば!」なシーンで非常に盛り上がるのですが、端的に見ると後追い自殺するじいさんの話です。実際小学生の頃この映画を初鑑賞したときは、パラダイスの滝に行ったあとは家に乗って帰ってくるつもりなのかと思っていましたが、そんなことは無いですよね。セリフでは言わないですが、もう帰ってこないつもりなのです。なんなら滝に着いたらそのまま飛び降りちゃうんじゃないかな。...重い...。
この映画のテーマのひとつに、「夢」と「現実」の対比というものがあると思います。(後にラッセルが、セリフにして言うシーンがあります。)ここのパートでは、後にカールじいさんが葛藤する「夢」と「現実」の選択を暗示させるような、伏線として機能するシーンでもありました。

物語は進み、南アメリカにて、カールじいさんはチャールズ・マンツと対峙することになります。チャールズ・マンツはカールじいさんの憧れの人でありますが、「過去の栄光に取り憑かれ、現実が見えていない人」であり、カールじいさんのダークサイドとも言えます。この敵の設定も上手いですよね。お互い何歳同士なんだとも思いますが。敵をただの悪者にするのではなく、主人公が乗り越えるべき存在にすることによって敵側も魅力的になるし、奥が深まります。この悪役の設定はMCUなどのヒーロー映画でもよく見るやり方ですよね。脚本の上手さを痛感します。

さらに物語は進んで、ついにカールじいさんはパラダイスの滝に家を運びきります。巨鳥のケヴィンをマンツに渡してしまったことから、ラッセルとは仲違い、慕ってくれた犬のダグにも罵声を浴びせ、いなくなってしまいました。ここで、カールじいさんの目的は達成してしまいます。あとは自殺するだけ。最後の記念にとエリーの冒険日記を眺めるじいさん。しかしそこて、思いもよらぬ日記を見てしまうのです。そうです、「わたしがこれからやること」と書いてあった後のページにはカールとエリーが二人で過ごした時間を収めた写真が綴られているのでした。カールじいさんはエリーをパラダイスの滝へと連れて行けなかったことを後悔していたのでこのページは何も描かれていないと思っていたのですが、エリーはそこに二人の思い出を綴りました。そうです。エリーにとっては、カールと過ごした日々こそが冒険であり、何も後悔していないと。そしてカールには私のことは気にせず、新しい人生を始めて欲しいとメッセージを残します。このメッセージを受け取ったカールは、再び人生を生きるためにマンツと再戦することとなったのでした。
ここも非常に感動的です。冒頭15分でのエリーの人生の別視点が見えるわけです。ちなみにここもサイレントになっていて、冒頭との対比になっています。セリフなしの映像で、ここまでエモーショナルに描ける作品も少ないですが、これこそディズニーのお得意技といったところでしょうか。絵での感情表現、すなわちアニメーションの真髄を見ました。
この後、一人でケヴィンを救出に行ったラッセルを追いかけるカールじいさんですが、そこでエリーとの思い出の品を捨てまくる、というシーンがあります。冒頭でカールじいさんと家の関係に感動した人にはショックなシーンですが、物語として正しすぎる行動です。そうです。過去は切り捨て、カールじいさんは新しい人生を生きるのです。ショックシーンも逃げず、勇壮なシーンとして描くピクサー、たまりません。最高のシーンです。

この後は飛行船でのアクション活劇になっていきます。インディジョーンズばりのアクションを見せるおじいさん達。Xウイングのパロディをする犬たち。荒唐無稽ではありますが、普通に楽しいです。あとはマンツを倒して、乗り越えるだけですから。

テーマが重い映画でもあるのですが、ちゃんと子供が楽しくなる工夫もされているのが隙のないところ。冒頭のコミカルなシーンもそうですが、中盤はラッセル君を中心に、ケヴィンやダグらのアニメーションの動きで笑わせるシーンが多く、楽しいです。(ラッセルとケヴィンが初めてじゃれ合うところとか。かわいすぎ)

ラッセルについて
前半ではカールじいさんにとって邪魔者として扱われるラッセルですが、物語を語る上で重要な役割を果たしています。ラッセルは、おそらく親に離婚され、父親にも見捨てられた、と仄めかされるシーンがあります。そう、つまり彼は過去にはいい思い出が少なく、未来を楽しく生きるしかないキャラクター、つまりカールじいさんとの対を成すキャラクターです。ラッセルが冒険についてくるからこそ、カールじいさんの未来が暗示され、物語が暗くなりすぎないようになっているのではないでしょうか。また、ラストではラッセルはカールじいさんが未来を生きるためのきっかけとしても機能しているわけです。数々の凹凸コンビを描いてきたピクサーのキャラ配置の仕方にも唸るしかありませんね。
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