ラピュタ阿佐ヶ谷の轟夕起子特集にて。戦時中(1943年)に作られた異色ミュージカル映画。何が「異色」なのかというと、その異様なまでの明るさとはしゃぎっぷり。完全なる国策戦意高揚映画で、娯楽を楽しんだつもりになるために大の大人がかくれんぼする「つもり貯金」をしたり、ボーナスが国債で支払われたり、主人公の兄が足を失って戦地から還って来たり、「隣組」の中で結婚をまとめて「産めよ増やせよ」を奨励したりというのが次々に出てくるのは当然ながら、それらの合間に何の脈絡もなくレビューが挿入されたり、轟夕起子をはじめとする出演者たちが、今の自分たちから見ると「異様」としか思えない明るさで戦時下の自由とは言えない生活を演じている。監督(マキノ正博)のことも製作の背景もよく知らないので、何らかの意図があるのかないのか分からないが、この「異様さ」に却って何らかの反戦的な意図を感じてしまうのは深読みのし過ぎだろうか。
相手役の灰田勝彦は(Wikipediaによると)ハワイ生まれで軍部からも睨まれていたため軍人嫌いだったそうだし、すでにこの時、召集された戦地から傷病兵として帰還した後だったそうなので、このような能天気な戦意高揚映画に出ることには気持ちの奥では複雑な思いがあったかもしれない。また、隣組で夢中で空襲に備えたバケツリレーをやっている姿は、東京大空襲の想像を絶する威力を(知識としてだが)すでに知っている今の自分たちからは滑稽さを通り越して哀しさすら感じた。
そのような時代背景から来る「作品の意義」を考えることももちろん興味深いが、冒頭の隣組の人たちが歌う歌が「ドリフの大爆笑」のテーマソング(「ド、ド、ドリフの大爆笑〜」というアレ)の元ネタだったということを知ることができたり、轟夕起子のひょうきんな父親役が、『酔いどれ天使』で三船敏郎に殺される「あの」悪役・岡田を演じた山本礼三郎だったり、十代の高峰秀子がはじける笑顔を振りまいていたりと、楽しめるポイントの多い作品だった。