やん

美しきセルジュのやんのレビュー・感想・評価

美しきセルジュ(1957年製作の映画)
-
村が主人公
池は汚く濁り、土地は岩の上に建つ。
無気力で信仰心も失った村人たち。
神父すら導き信仰を守る力がわたしにはないのだと嘆く。いくら働いても貧乏なのに、働くこと以外することもない。逃げられず、ただ村に暮らすことしかできない。 

町娘のマリーは死にかけの血の繋がらない父親と2人で暮らす。暇つぶしのようにオトコとセックスする。でも自分がマリーの本当の父親じゃないことを知った父親は、マリーをレイプする。マリーは布団を噛み、泣く。狭い世界でどこにも行けないマリーはそれでも美しかった。

でも、セルジュだけはこの町にあがなおうとしていたが、妻の初産が奇形児であったこと・次の子もまた奇形児であるかもとの医者の診断に思い悩み酒浸りの生活。どうにかもがきたかった。

セルジュの『人が歩く姿を見たことがない人は歩けないだろう』(うろ覚え)という言葉に、フランソワは手本を示そうとする。フランソワは結核。医者は何も言ってくれない。死が近いか遠いかもわからず、でも、本人だけはなんとなく感覚があるけれど、
納屋で飲んだくれ寝てたセルジュを雪の中ひきづりながら歩く。それは彼だけが、この村をセルジュを救えるかもしれないから。
セルジュの生き辛さ、誰を恨んでよいかわからない辛さ、昔の姿と変わらないように見えるフランソワに対する羨望と憎しみが、なんだか今の日本にも通じているよう。もがくもがくもがくでもその分だけ人に当たったり、でもそれ以上に自分が苦しむというか。そんな人が私の近くにも居ます。

町町町町、ジャンクロードブリアリ
やん

やん