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トランスアメリカのやのネタバレレビュー・内容・結末

トランスアメリカ(2005年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

社会に「埋没」することは、決して恥ずかしいことじゃない。寧ろ、私たちが日々テレビやネットで目にするマイノリティ・セクシュアリティの人たちは、ごく一部の人たちかもしれない。トランスセクシュアリティの人たちが皆、善人で、自分たちの権利を声高に叫んでいるというわけではない。

ブリーもそうなのだ。神を信じているわけでもないし、マイノリティであることに嫌気がさしている。一刻もはやく身体の女性化を望み、社会に女性として埋没していたいのだ。この映画の素晴らしいところは、決して「埋没」を非難しないところだ。明るく生きていこう、なんて短絡的になっていない。トビーに対しても、彼の移ろい易い感情を真っすぐしてやろうなんて意地悪はしない。それぞれの生き方を尊重しながら、彼らに寄り添う形で映画は進む。ブリーやトビーのアイデンティティの物語であって、家族の物語でもある。彼らをリアルに捉えながらも、彼らを見つめる眼差しは優しい。

ロードムービーの鉄則「旅は成長の過程でもある」というのを遵守しているが、全てが「解決」されるわけではない。ブリーとトビー、そしてその家族を含めて彼らの関係は不完全修復のまま旅を終える。トビーは結局ポルノ男優になり、ブリーもトビーとの関係に決着をつけれないまま手術を迎える。この映画の救いは最後の再会のシーンだが、彼らの物語はまだ続くことも示唆している。2人仲良く今直ぐ暮らしましょう、と安易なオチにならないところが良いのだ。2人の人生はまだまだ続くのだから。
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