Yurari

飼育のYurariのネタバレレビュー・内容・結末

飼育(1961年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

大島渚監督の問題作。

太平洋戦争末期、山林の集落付近で墜落した米軍飛行機に乗っていた黒人兵士を、村人が「飼育」する。
黒人兵の足には獣用の罠がかけられており酷い傷だが、手当てすることもなく蔵に閉じ込めてしまう。水をやっとけば良いという無責任な言葉など、同じ人間に対する扱いではない。

大人たちは皆卑しく、野蛮。特に男たちがひどい。女性は勝気な人が多いものの、結局は男たちに負ける。羽交い締めにされて襲われるシーンが多数出てきて、当時の環境を考えながら胸が痛んだ。

村の住民はせいぜい30人くらいだが、本家が権力を握っており、明確な権力構造が見える。食料や酒は本家にある。変える事のできない現実に、不満を抱える村人が多い。

黒人兵がやってきてからトラブルが続き、村人はそれを全て黒人兵のせいにする。(実際はそれより前からトラブルは多々あったはずだが・・)ずっと囚われの身である黒人兵が何をできるわけでもないので、ただのこじつけ、責任転嫁だ。最終的に、物語は終戦の知らせと共に悲劇的な結末を迎える。しかし、村人は至って呑気。「厄払いができた、さぁ飲むべ」というセリフには絶句・・。
他人の事は考えず、自分がその瞬間無事ならなんでも良い、そんな無責任さが随所に描かれている。この時代では珍しくない光景かもしれないが、人って環境次第でとことん落ちるよなぁと絶望的な気分になった。

この映画の唯一の救いは、子供たちだろう。黒人兵と仲良くなり、怪我の手当てもしたり、命を救おうとしたり。子供たちは、救いであり、希望だ。しかし彼らも、ここで大人になったら卑しい人間になってしまうのかもしれない。
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