Angiii

ストーカーのAngiiiのレビュー・感想・評価

ストーカー(1979年製作の映画)
5.0
人生最初で最愛のタルコフスキー作品を、再度劇場で鑑賞できるとはなんたる幸福。澄み渡る静逸によって描かれるものは、さまざまな人間たちと、彼らの人生へと向けた真摯な視線なのである。

最後まで”何に”、”何のために”より作られ存在するのかわからない「ゾーン」、それが毎刻変化するように、この作品を鑑賞するごとに感じる思いは一意でない。無口な学者、饒舌かつ世俗的な作家、行き場のない”ストーカー”。決して全貌を見せることのないゾーンに取り込まれた人々のなれ果てと朽ちた文明の合間をナットで手探り進んでいく彼らの間で絶え間なく交わされる会話劇は、ロシア文学の遺伝が色濃く残った狂言回しでもあり一層また一層と人間の心を赤裸々に剥がしていく。弟の生を願ったヤマアラシの悲劇の話をきっかけに”部屋”の前でぶつかる本音、己のために案内人をしている偽善者ではないかと詰る作家や犯罪者の悪用を恐れるという個人的正義を振りかざし”部屋”を爆破しようとした教授に心の底から絞り出した慟哭で阻止するストーカーの話からわかるのは、全てを持たない彼にとってゾーンは唯一で最後の安らぎと自由だということである。

彼がなぜそのような境遇であるのか、何故ゾーンで母の胸中で眠るような安らぎ得ていたのか、その理由はをゾーンの鮮烈な色彩と対比する現実の陰鬱なセピアが暗示する(そして美人なパトロン持ちの作家や学者とストーカーの社会的地位の差も意味有りげに思えてくる)。娘を背負った彼の帰路に見える原発、牢獄帰りの彼の膨大な蔵書(もしや彼は文化人のひとりで思想犯として捕えられていた?)、なぜか部屋の中までビチャビチャな寒く暗い湿気は、否応なくソビエトの影を想起せざるを得ない。作家と学者の案内が苦しみのうちにおわり、それで幕が上がるのかと思いきや打って変わって”第四の壁”に向き合い淡々と独白を行う妻の言葉によって、雰囲気が意外な方向に一変している。モノローグの一部を英字幕より引用してみたい:(親の反対を押し切って彼と結婚し子供をもうけたことに対して)”It’s better to have a bitter hapiness than a gray, dull life. Perhaps, I thought it all up later…(中略)…We had a lot of sorrow, a lot of fear and a lot of shame, But i never regretted, and i never envied anyone. It's just our fate, our life, that’s how we are. And if we haven’t had our misfortunes, we wouldn’t have been better off. it would have been worse. Because in that case, there wouldn’t have been any happiness. And there wouldn’t have been any hope.” 日字幕【苦しみなければ幸せも無い】に該当するセリフの後半部分のニュアンスの差異に留意されたい。苦しみによって対比される幸福のみでなく、どん底を起点としたあらゆる変化、そしてそこからもたらされる未来への希望を彼女は大きく艱難な定めにより感じ取っているのだ。それを象徴するかのように目覚める"足のない娘"の超能力はもしかすると、タルコフスキーの民衆へと向けたひとつのメッセージなのかもしれない。

単に人間個人が孕む生々しい欲望だけでなく、どうしようもない運命とそれに生きる多様な人間の有様を、決してドラマティックに脚色することなく(Eduard Artemyevの素晴らしい音楽により深みはとても増している)、静かに描き讃え、ときには批判する、人生の節目にふと観たくなるような作品。
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