姥捨山伝説なんか半ば空想上のものだとおもってたけど、これはとんでもないリアリズム。姥捨山の由来や意味をこんなに説得力を持って示せるとは。
まずしばしば挿入される動物の交尾と捕食カットがこの村での生の連続性がいかに動物的であるかということを示していた(この村というか、人間も動物なんだということを)。日活ロマンポルノのごとく10分に1回は交尾カットが差し込まれてるんじゃないか?と思うと同時に、人間同士のセックスも同じくらい差し込まれている。村でのセックスは、村の人間の命の保存のために、今の倫理観では考えられないような因習によって制限されており、全く官能を感じられないばかりか、滑稽でさえある。その様子が、われわれが動物の交尾を見て笑ってしまうところと共鳴している。そして交互にカットが挿入されるだけでなく、同じショット内に人と動物が存在してるところが多いのもポイントかも。人間の営みを映した後に、蛇やフクロウの生活も映すというように、やはり動物も人間も同じ生物として映されている。
作中で季節の巡る様子が丁寧に描写されてるところもこの生の連続性と関わっていたと思う。つまり捕食も交尾も季節の移り変わりも、この世界の循環の一端なのである。
これらの世界の循環という摂理が楢山参りを正当化する。新しく生まれてくる命がある分、老いた者は死すべき運命にあるのだ。だからこそ、母が臼で歯を砕き、おむすびを食べることを拒む行為は秩序に従う自然な行為であると言ってもよい。これを不自然に思うのは医療が発達し、食料を充分に手に入れられる現代人の発想がゆえというところもあると思う。そして観客が共感しやすいようにやや現代的な感覚を持っているのが主人公だと思うけど(楢山参りの禁忌を破り母と会話したり戻ったりするところなど。しかも彼は罰されない)、それでも即後家を娶ったり、後家に違う男と寝ることを頼んだり、母を捨てるところがいい意味で観客の慰みになってなくてリアリティがあった。
物語には直接登場しないけども、父がほぼ山の神と同一視?というか、神の一部として見なされてるところもアニミズムで日本的だな~と思った。父を殺した場所や雪の降るシーン、一瞬母のいなくなるシーンなどのコマ送りで彩度の低い映像効果によって、非日常的な時空間が形成されていて、神的なものを思わせる。村の人々にとって、姥捨は殺すというよりも山に還した状態で共生するということを意味してたのかもしれない。
ほかにも村八分にされた一家の生き埋めシーンの長回しや、白骨死体だらけの楢山を進む主人公のpovなどリアリティあるショットが続いていて迫力があった。