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楢山節考の中のレビュー・感想・評価

楢山節考(1983年製作の映画)
4.5
「お山へ行ってもらう」
印象深い言葉やな。お亡くなりになることをお隠れになるって初めて聞いたときに似た感覚やった。

お山参りっていう村と家族に対する帰属意識につけ込んだしんどい制度。人様に迷惑をかけるくらいなら自分が傷ついた方がましって心情を利用して口減しを正当化してる。
とはいえ現実には食べ物がないわけで集団が生きていくには犠牲が必要なんやって言われたら閉口するしかない。
それでもPLAN75みたいに当人に選択肢がないのがあかん。あかんって言ったって仕方ないけどあかん。あの世界だって暗黙の了解ていうかネガティブな圧力が老人の死に対して働いてたけど、実の息子にぐるぐるまきにされて崖上から転がされるよりましやわ。

昆虫の交尾と捕食シーン観続けるのしんどかったな。
グロテスクな映像がしんどいのと、広義では自分も同じ生き物なんやと認識させられるのがしんどい。

こんな今の俺がこの世界に生きてても生に対しても性に対しても強くあられへん。
あの奴らのように中途半端に生きるんかも。

「あいつ初めてだから新しいも古いも分からんだに」
あかん息子の下の世話に走るお母さん、声出して笑った。
感傷的になることが非生産的やってことを教えてくれる。

お山参り、疲労でへろへろやのにおぶってるお母さんの高さ分まで頭上の枝を避けてるとこに優しさを感じたな。愛。

けえちまったずらか、のシーンめっちゃ鳥肌立ったわ。
義務から解放された気の緩み、それが勘違いやと分かったときの心の落差が凄まじかった。呆然と山登りを続けだすのも恐ろしかったな。

決心した後やのに、雪が降って運がいいねよかったねってわざわざ言いに戻ったのはなんでなんやろ。
お母さんの負担が軽くなってつい浮かれたんか、話のネタができて戻る理由ができたからか、、、いずれにせよお母さんとまだ話したかったんやんな。
結末を変える意思はなくても戻りたかったよな。愛。

お母さんが自分で前歯折るの痛々しくて観てられへんかったんやけど、お母さんの笑顔はずっと素敵やったな。
嫁とか友だち、世間には見せてた笑顔。
辰平には見せてなかったような気がする。やっぱり長男は自分の分身みたいなもんなんかな。旦那さんとも重なるんやろうし。昔ながらの身内に対する厳しさやな。それでも最期だけは辰平に笑いかけてて嬉しかった。
役作りで健康な前歯を4本抜いて10㎏減量してたらしい。ヒースレジャー以来の狂気を感じたわ。

「親を捨てるか、子を捨てられるか」
人によって解釈が変わりそうなキャッチやな。初見で言葉間違ってるんかと思った。

あと、1983年当時に、「豊かではあるが、生きる意味を失っている現代社会に対し、貧しく飢えているが、生きる意味を持つ社会がかつてはあった。」って紹介されてるの時代やなあと思った。
これ書いた人からしたら、これから先も社会は豊かになり続けて俺らは"生きる意味"は失い続けるんやろうな。生きる意味ってなんやねん。

「彼女は、山で自らの生命を断つについて、残された者達の生を思いやる。自ら死ぬことが他を生かすことであり、他を生かす為の死が、彼女自身の生なのだということを知っている。死ぬことが、『完全に生きる』ことであり、死を目前にした彼女の生は充実する。」
鑑賞後にこの紹介文を読んで初めてこういうサイクルもありなんかなと思った。良くはないけど救いではあるやんな。生にしがみつきさえせんかったらどんな自分でも全体の一部になれる。正しく偉大な歯車であれる。
でもやっぱりちゃうか。自分から進んで戦争に行くようなもんか。
どないしても俺らは今を生きるしかなくて、善悪はおいといて明確に他の動物とは違うようにしか思えへんのやし。

70歳になったらお山に行かなあかん世界。
死の時間が決まってるから彼らは生について何か特別考えるんやろうか。
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