ベビーパウダー山崎

あばずれ女のベビーパウダー山崎のレビュー・感想・評価

あばずれ女(1979年製作の映画)
4.0
知恵遅れの青年と母親に虐待されている小娘、どちらも「見捨てられた子ども」で、その共通の寂しさだったり侘しさが物語を強くしている。ほぼ二人芝居の室内劇。青年と小娘の奇妙な共同生活の場が屋根裏、まともな住まいさえ与えられていない二人。半地下とかと同じ意味合いで社会から疎外されている。17歳の青年は自分の言いなりになる人形のような女の子が欲しくて誘拐し、母親から逃れるためにその芝居に付き合う11歳の小娘は大人の男性(父親でもあり恋人)を肉体含めて望んでいる。その二人の感情、愛情が同じ方向を向いていない、対立し、ぶつかり合うのが正しくジャック・ドワイヨン映画という気がする。
倫理観100アウトな出来事を、まあうまく撮る。二人の関係にあえてエロスを匂わせ、その部屋に置かれた銃は死であり男根の象徴で、逆に少女が銃を構えて脅すことはあっても、性に臆病な知恵遅れの青年が銃を放つことはない。不発であり不能。
狭い室内を舞台にキャメラの位置は間違いなく、運動が足りないと思わせれば小娘を逃し走らせたりもする。屋根裏に登るのもあえて窓にかかる梯子を使い、そこで上下の運動もしっかりと映す。
誘拐を警察の現場検証のもと再現している意外なラスト。ことの重大さも深刻さも理解できていない17歳の知恵遅れと11歳のあばすれ女、現実味のないリアルはどこまで行っても小学六年生なみの空想上の物語、つまりそれは、その歪んだ安息地、夢のなかにしか居場所がない絶望的に孤独な二人。ブレッソンをヤりながら、怯まず恐れずドワイヨンの気持ち悪さ(生々しさ)できっちり上書きしてくる傑作。素晴らしかった。