久々に鳥肌立ちまくり興奮しまくりの音楽映画だ。
やっぱり、ローリング ストーンズは、紛れもなく、ローリング ストーンズだった。つまり、現在進行形のバンドであった。あたりまえに分かりきっていたことを、「シャイン・ア・ライト」を観て、再確認させられた。
「シャイン・ア・ライト」は、過去の音楽映画とくらべてみても、全くもってベストな音楽映画だった。
まるで、すぐそこで、ストーンズが演奏しているのではないかというような錯覚と興奮におちいる。
一曲目の「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」がはじまった瞬間、緊張と興奮が最初のピークに突入する。
その感覚は、ストーンズ初来日時、東京ドーム1日目の一曲目「スタート・ミー・アップ」を、その日の日本テレビ系の11PMの枠で放送された演奏をテレビ画面上で目撃した時の衝撃と興奮を今一度、味わった感覚。
瑞々しく透き通ったロックンロール!
まさにそんな感じである。
ストーンズのパブリックイメージは、ダーティーなのだろうが、それは昔話だろう。
ストーンズはオッサンたちの昔話に出てくるだけのバンドではないんだぜ!
60年だろうが70年だろうが80年だろうが90年だろうが、過去の伝説なんて私は、興味ない。
私が興味があるのは、今のストーンズだ。
「シャイン・ア・ライト」は今のストーンズが観れる最上級の映画だ。
そして、ストーンズは、若いころよりも、全然、瑞々しく透き通っていて、美しくスマートでチャーミングだ。
ロックンロールは、セックスとドラッグなんていう迷信を有り難がっている奴らは、すでに古い。
ロックンロールはいつでも現在進行形であるべきだ。
ストーンズは紛れもなく現在進行形のいつだって最新型だ。本作で証明された。
さて、この映画の圧巻は、御大 バディ・ガイとマディ・ウォーターズの曲「シャンペン・アンド・リーファー」を演奏するシーンだ。
キースが、まるで少年のような表情を見せてはにかむ。
ミックもロニーもキースと同様の表情を見せる。
バディは、揺るぎない目線で、弟子たちを見守る表情をしている。
そして曲が終わった瞬間、サプライズが起こる。
キースが自分が弾いてたギターをバディに「プレゼントだ!」と言い、あげるのだ。キースがバディに敬意をしめしたわけだ。カッコいい!なんかジーンときた。
ジーンときたと言えば、「ユー・ガット・ザ・シルヴァー」でキースはギターを持たずにロニーのギターで歌い、ボーカリストに徹した。これには、かなりビックリした。そのただずまいが、渋かった。
で、スコセッシ監督の凄いところは、ストーンズのライブ映画にとどまらす、ちゃんとスコセッシ作品の印を押してあるところだ。
この映画は、音楽のプロフェッショナルと映画のプロフェッショナルの決して妥協を許さないバトルでもある。
P.S.本作が撮影されたライブ時のバックステージで転倒して病院に運ばれ、その後、亡くなられた、アトランティック・レコードの創立者、アーメット・アーティガン氏を本作のエンドクレジットで追悼している。