Jeffrey

スモークのJeffreyのレビュー・感想・評価

スモーク(1995年製作の映画)
3.8
「スモーク」

〜最初に一言、この作品はブルックリンの場末な葉巻店が、ー種の社交場になっている映画で、モノクロパートで見せる回想シーンのサイレントが最も感動を呼ぶ瞬間であり、トム・ウェイツの音楽が身に染みる。これはどこにでもある変哲な街角の人たちの物語である〜

冒頭、1990年の夏からクリスマスの話。ここはブルックリンの街角。小さな煙草屋を経営する男となじみの客が話をしている。煙の重さ、オーギーのカメラ、真実、ガソリンスタンド、時給5ドルのアルバイト、ある事件、17歳の誕生日、ある作家の最期、告白。今、モノクロでの回想が始まる…本作はたった1館で9万人を動員しヒットした日米合作の映画で、ウェイン・ワン監督のフィルモグラフィーの中の最高傑作かつ第45回ベルリン国際映画祭にして銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞した傑作である。この度BDにて再鑑賞したが最高だわ。本作の原作者はポール・オースターの"オーギー・レンのクリスマス・ストーリー"であり、制作スタッフには堀越謙三と黒岩久美がいる。主演のハーヴェイ・カイテルはゴールドバーグ主演の「天使にラブソングを」で既に知っていて好きな役者だったが、この作品を見て後に「テルマ&ルイーズ」を見て好きになった役者の1人だ。共演者にはすでに85年の「蜘蛛のキス」でオスカーを受賞しているウィリアム・ハートに加え、2006年に「ラストキング・オブ・スコットランド」でオスカーを受賞したフォレスト・ウィテカーらが出ているのも激アツ。

確かスピンオフ的なのにはマドンナも出てたな。さて、この作品がどのように制作されたかを少し話したいと思う。はじまりは1990年12月25日のニューヨーク・タイムズ紙のクリスマス特集版がきっかけである。ポール・オースターのオーギー・レンのクリスマス・ストーリーと言う短編に、感動してすっかりはまり込んでしまった本作の監督ワンが電話をかけてから、脚本の一稿までに3年かかったそうだ。2人はブルックリンを歩きながら、長い時間をかけてこの映画のことを話し合い、撮影は家族的な呼吸で進んだそうだ。この物語はオムニバス形式ではないが、複数の人物の人生が丁寧に描かれている。タバコ屋の店主の男の話、妻に先立たれた文筆家の男、店主の昔の恋人だった女との話、自身の生を探り当てつつ放浪する黒人少年の話、昔その彼を捨てたガソリン・スタンドの男の話やタバコ屋にやってくるお客の話なのである。それらをダンディズムかつロマンティックに描いたのが本作である。今思えば当時ハートのほうは45歳でカイテルのほうは56歳。10歳も歳が離れているのに意気投合しているシーンを見るとすごく嬉しく思う(年齢は現実の話)。この映画を見ると毎回1人でクリスマスを過ごしたとしたならば、トム・ウェイツのイノセント・ホェン・ドリーム(夢見る頃はいつも)を聴きたいなと思うのである。

その、ウッドベースとブラッシュドラムにサックス、そして自身の弾くピアノ(時にギター)と言う編成によるジャズを基調としたサウンドが何度も耳に残る。いきなり余談話だが、1949年香港生まれの監督のウェインと言う名前は西部劇好きだった父親がジョン・ウェインにあやかって命名したものだ。そして劇中でウィリアム・ハートが吸っていた葉巻はオランダ産シンメルペニンクであり、シガリロと呼ばれる極細の葉巻である。違う銘柄だが、映画ではミシェル・ピコリやイーストウッドも吸っていた。さらに太いものをシガーと呼ぶが、大きさや太さによって、チャーチル(彼が愛好していた長太とサイズ)、コロナ、マドラスなどと名前が付けられていることも、この映画を見る前に前情報として知っておいたらいいかもしれない。そしてさらに言うと、カイテル扮するオーギーが密輸し、水浸しにしてしまったものは、キューバ産モンテクリストナンバーワンであり、日本では1本1500円もするコヒーバ等と並ぶ最高級品である。2015年まではアメリカはキューバと国交がないから輸入できない品物である事は有名だろう。ちなみに「セント・オブ・ウーマン」(アル・パチーノがオスカーを受賞した作品)でパチーノがこれを愛好していた。前置きはその辺にして物語を説明したいと思う。



さて、物語はポールは、いつものようにオーギーのタバコ店にいた。その日の分のタバコを買い求め、一時なごやかな世間話を楽しんだ。寂しい男の日課である。待つ人のない家に帰る途中、危うく車にひかれそうになったところを、通りすがりの黒人少年ラシードに助けられる。ポールは、作家としてその名を広く知られながら、もう何年も作品を仕上げられないでいる。彼は、ある不幸な事件からいまだに立ち直れていなかったのだ。7年前に、出産目前の妻を突然の事故で失ってしまったのだ。寂しく呆然としたポールの人生が描かれる。その夜、再び訪れたオーギーの店で、彼は懐かしい妻、エレンと出会う。オーギーが毎日撮り続けている街角の写真の中で。幸せだった時間、そして悲しい過去が交差し、思わず涙ぐむポール。その肩を、オーギーが優しく抱きしめる。

数日後、命の恩人ラシードが訪れ、ポールは恩返しに2、3日家に置くことにする。実はこのラシードには多くの秘密がある。歳も育ちも、性格も全く異なる2人。しかし、大きな心の痛みと言う共通点があった。次の作品はいつ?美しい本屋の娘に尋ねられて、口ごもるポールを横目に、今、仕上げの段階だから、夏の終わりには出版を…と答えるラシード。ポールはラシードとの共同生活の中で、少しずつではあるが、再び小説を書く意欲を取り戻し始めて行くのである。ラシードの父親との再会、オーギーの娘との再会。大切にしていた友人たちの悩みや成長、心の変化に次々と遭遇する時、ポール自身も癒されていったのかもしれない。仕事の依頼も増え、笑顔が似合う男へと変貌しつつある。これがポール・ベンジャミンの物語である。

続いて、オーギー・レンの物語。ブルックリンの街角で、小さな煙草店を営むオーギー。この店には、叩けば埃の1つや2つ、悲しみの1つや2つ、ポロポロとこぼれ落ちる男達が集まってくる。それは人種を問わず様々だ。そしてまた、店主である彼にも、多くの秘密があった。18年も昔に別れた女に、子供がいたのだ。初めて会う我が子は、お世辞にもお嬢さんと呼べない不良娘。日課にしている街角の記録写真にもまた、不思議なストーリーが隠されていた…。14年間毎日、同じ場所の同じ時刻の写真を年代物のカメラで撮りつづけている。ある日、店の常連であるポールにこの天体観測写真集を見せる機会が訪れた。どれも同じと落ち着きなくページをめくるポールに、ゆっくり見ないと何も見えてこないと彼が言う。モノクロームに切り取られた街角は、同じようで全く違う。その証拠に、ポールは亡き妻の生前の姿と遭遇し、深い悲しみに落ちる。しかし、ただのタバコ店の店主とお客だった2人の間には、ほのかな友情が芽生え始めていく。

このところ、タバコの密売で一儲けする計画が順調に進み、オーギーはとびっきりご機嫌である。しかし、突然18年前に別れた恋人ルビーが訪れ、問題が起きる。2人の間には娘がおり、しかも妊娠していて、お金を貸してほしいと言うのだ。この衝撃の事実にうろたえながらも、オーギーは冷たく突き放す。だが、父親に会いたがっていると言うルビーの熱意に負けて、出向くことにする。そこには、ドラック中毒の上に下品な言葉を使うわが娘がいた。せっかく密売したタバコは、バイトとして雇っていたラシードに水浸しにされてしまうし、踏んだり蹴ったりである。こちらの方はラシードが隠し持っていた大金で弁償され、事なきを得る。なんとか予定通りの大金を手に入れたが、やはり気になるのは昔のこと。そのままそっくり、お金はルビーに渡された。ポールと共に、ラシードの父親との再会にも立ち会い、色々とトラブルも起きたが、全てが一見落着。

世代も立場も異なる男たちは、互いの痛みを優しく見守ることで、強く結ばれた。年も押し迫ってある日、クリスマスの原稿のアイデアを求めてポールがやってくる。14年前のちょっと不思議なクリスマスを静かに語り始める彼。そこには、日課である定点観測写真のきっかけともなった、悲しくも温かな出来事があった。続いて、ラシードの物語である。誰にも言えない心の悩みを抱えた黒人少年ラシード。幸せか不幸かチンピラ強盗が落とした6千ドルの大金を拾い、追われているようだ。街角で助けたポールの家に住みながら、過去を直視し、未来に向かおうと模索中だ。ポールとオーギーのような大人たちに見守られていく。ポールの命の恩人としてやってきた彼には、2つの秘密があった。1つは、隠し持つ大金。自分の将来のためにと懸命に守ろうとするが、バイト先のオーギーの店で不注意から密売品のタバコを水浸しにしてしまい、弁償する羽目になる。

結局お金はゼロになり、その上、チンピラ強盗がお金を取り戻しにやってきた。そして彼は行方をくらませる。もう一つの問題は、幼い頃に蒸発した父親のことである。郊外の寂れた自動車工場にいるらしい。身元を装って働き始めるが、過去を悔やみながらも新しい家庭を築き、幸福に暮らす父親の姿に触れ、黙って立ち去る。親子の絆を確認したい。でも、言い出せないのだ。まだあどけなさを残す少年の心は葛藤する。しかし、チンピラ強盗に追われて身を寄せた先は、やはり父親のもと。親子と名乗らないまま、穏やかに時が過ぎていく。ある日、ラシードの安否を気遣うポールたちが訪れる。すべてを話すとき、親子の対面を果たす時が来たのだった。続いて、サイラス・コールの物語。町外れの寂れた自動車工場で、1人黙々と修理を続けるサイラス。

左腕の義手には、悲しい秘密が隠されている。愛する女性を運転ミスで殺してしまったこと。幼い子供を残し、蒸発したこと。しかし今は、ささやかな幸福を手に入れている。そこに、1人の不思議な少年が訪れる。消し去ることのできない痛みを連れて…。ある日、1人の少年が自分を見つめていることに気づく。スケッチをしており、他の所へ行ってくれと言っても聞き入れない。そして、働かせてくれと言い出され、仕方なく雇うことに。得体の知れない少年に、最初は不信感を持っていたサイラスも次第に打ち解け、悲しい自分の過去を話すようになっていく。愛する妻と生まれたばかりの子供とともに、ピクニックに出かけようとしたその日、少年を訪ねて見知らぬ男たちがやってきた。何か訳ありの様子だ。そして、少年が思い切って語り始める。それは衝撃の事実だった。この少年こそ、12年前に別れた実の我が子だったのだ。俺をからかうのか、大嘘だ…と戸惑いながらも、やがて2人の絆はしっかりと繋がれて…。

続いて、ルビーマクナットの物語。眼帯が痛々しく、表情もやつれている。18年も前に別れた恋人オーギーを頼るしかないルビー。あばずれと化した娘は妊娠中で、大金が必要なのだ。しかも、その娘の父親は彼だと言う。穏やかな日々を送っていた彼に、大きな衝撃を与えてしまった。それはある日のこと。思いよってルビーは彼のタバコ店を訪れる。2人の間に娘がいたこと、その娘が妊娠していること。そしてお金を貸してほしいことを伝える。他に頼る人がいないことを話す。恥を忍んで、彼女は過去と現在の真実を告げる。彼にとっては、ルビーはもはや記憶にほとんどない過去の女でしかない。信じられないと冷たく態度を見せ、しかしルビーは娘があなたに会いたがっていると食い下がる。熱意に負ける形で、しぶしぶ彼は娘の元へ行く。だが、子供は堕した、ガタガタ言わないでと怒る。2人には、重たい気持ちだけが残った。ある日、再びオーギーと会う。手渡された小さな袋には、大金が。あなたは天使だわと喜ぶルビー。しかし、本当に俺の娘かと尋ねられて、確率はフィフティーフィフティーと話す。

続いて、娘のフェリシティの物語。ルビーとオーギーの娘。初めて会う父親の前で、母親はメス犬と罵り、彼が金持ちかどうかを品定めをする。妊娠していたが、おろしてしまったことを伝える。せっかく心配して訪ねてきた両親を追い返してしまうのだ。続いて、煙草店に居座る賭け事師の男の物語。ブルックリンの街角にあるオーギーのタバコ店に、毎日のように訪れる渋い常連たち。用が済めばさっさと出て行く人もいれば、たわいもない世間話で時間を潰していく者もある。客同士が顔なじみになり、さながら小さなサロンのようだ。年も押し迫ったある日、ポールはNYタイムズから依頼されたクリスマス用の原稿に取り組んでいた。アイデアを求めて、オーギーの店へ行く。14年前に体験した、ちょっと秘密めいたクリスマスのことを語り始める彼。心地よいタイプのリズムに乗って、まるでこの物語を集約したかのような、オーギー・レンのクリスマス・ストーリーが完成されていく…とがっつり説明するとこんな感じで、終始心温まる素晴らしい作品である。

いゃ〜、正直この映画クライマックスのモノクロパートのシーン以外は普通の良い人間ドラマだなと感じる程度だが、心に染みるのは本当のラストである。そのモノクロ場面を見るだけでもこの映画の至福的な素晴らしい人間の生きる価値があってすごく素敵だ。それにTom Waitsの"Innocent When You Dream"(Barroom)を1曲まるまる流して終わり、エンディングロールではThe Jerry Garcia Bandの"Smoke Gets In Your Eyes"が流れるんだから、クリスマスに見たくなる映画でもある。そのほぼクライマックスで黒人がタバコ屋で雑誌を万引きして追いかける場面で、その黒人が財布を落として、自宅へ帰った店主が財布の中身を開けて、その黒人の家族写真、幼少期の写真を3枚をテーブルに並べてタバコを吸いながら眺めるシーンもジーンとくる。すごく素敵な演出だと思う。泣いたな、当時見た時チャプターリストで最後のこのモノクロパートをもう一度見て大泣きしたなぁ。お店のものを万引きした黒人青年の財布を拾って家を尋ねたら盲目の祖母が出てきて、孫だと思い込み、一緒にクリスマスを祝ったと言う話に慟哭した。そんでそのおばあさんとオーギー・レンが頬をくっつけて抱き合うシーンのクローズアップはほんとに素晴らしいワンショットだった。


冒頭のタバコ屋のシーンで「ドゥ・ザ・ライト・シング」で強烈な印象残したジャンカルロ・エスポジートが登場するのは嬉しい。それにアシュレイ・ジャッドのキツイ言い方をするストッカード・チャニングとの室内での言い争いはインパクトがある。この映画ローカル線が画面から消えるまで固定ショットで長回しするシーンがあるんだけど、それがすごく印象的で、候孝賢のニューヨーク版て言う感じがした。ラストの主人公の独白の長さも印象的だったが、何よりも原作者ありきの映画と言う感じがものすごくした。基本的にすごくバランスのとれた作品で、王道な物語を好む映画好きな方でも楽しめる映画になっていると思う。ここで原作者のポール・オースターのラストの回想録の出来事について少し言及したいと思う。事態が起きたのは72年の夏だったそうだ。ある朝1人の小僧が店にやってきて品物をかっぱらった。映画で言うペーパーバックのラックの前に立っていたものを万引きしたのだ。そして万引きに気づいた店主が走り出すと、彼は逃げていくのだが、途中で財布を落として、店主も走るのが疲れたと言うことでしゃがみ込み、その財布を拾って中身を見ると運転免許書と写真が入ってだそうだ。警察に電話して奴を逮捕させることもできたそうなのだが、写真を見て気の毒に思いやめたそうだ。それは今では麻薬中毒者で、そんじゃそこらの不良なんだろうなと思ったそうだ。

そうするうちにブルックリンの貧乏人の家に育って先の見通しが明るいわけでもない彼のことを思い、盗まれたものなんて大した事じゃないと思って、その財布を手元に置いたそうだ。何とか送り返してやろうと思ったが、そのままズルズルとクリスマスまで置いていたそうだ。そして普段なら店のオーナーが家に呼んでくれるクリスマスの日が近づいてきたのだが、その時家族を連れてフロリダの親戚のところに出かけてしまったと言うことで店主はクリスマスを1人で過ごすことになる。そうした彼が考えたのがこの際たまには良いことをしようと思い、コートを着て財布を返しに出かけたと言うことだ。万引き犯はロバート・グッドウィンと言う名前で、住所はボーラム・ヒルと書いてあった。団地が並んでるあたりらしく、その日は寒い日だたらしい。その団地にたどり着くまで何度も迷った末に、ようやく目的地に到着。そして呼び鈴を押した。最初は何の反応もなかったのだが、念のためにもう一度押してみたらしばらくしてからドアの前にやってくる気配が感じたそうだ。

年寄りの女の声で、どなたですかって話してきて、彼がグッドウィンを探していると言うと、お前かい、ロバート?と婆さんは言ったそうだ。そして、15個ぐらいついているんじゃないかと言う厳重な鍵を1つずつ外して、ドアを開けてくれたそうだ。この時このおばあさんは80歳以上いってたと彼自身言っている。そして映画同様に最初に気づいたのが、この人は目が見えていないと言うことだった。そしておばさんはきっと来てるくれると思ってたよロバートや…と言ったそうだ。そして後にこう話したと言う。わかってたんだよ、お前がクリスマスの日にエセル祖母ちゃんを忘れるわけないもの…と。そして婆さんは自分を抱きしめようとするみたいに、両腕を広げて、俺にゆっくり考える時間はなかったが、とにかくとっさに何か言わなきゃならないと思い、自分でも何が何だかよくわからないうちに言葉が勝手に口から飛び出していたそうだ。そうだとも、エセル祖母ちゃん…と彼も答えて、クリスマスだもの、祖母ちゃんに会いに帰ってきたんだよと言ったそうだ。

そしておばさんが抱きしめると彼もおばさんを抱きしめたそうだ。実際そのおばさんは自分のことを孫だとは思っていなかったそうで、そこまでボケてはいなかったと言っている。孫が来てるふりをするのが楽しかったんだなと思い、この日何もすることもなかったため、話を合わせて家に上がり込んでクリスマスを過ごしたとのことだ。、たわいもない話をして、彼がお腹がすいたと言うことで、家にはろくなものがなかったため、近所の店に行って、食料調達して、ローストチキン、野菜スープ、ポテトサラダ、チョコレートケーキなどを買い込んできたそうだ。おばさんはベッドルームにワインを二本ばかりしまいこんでて、結局結構なクリスマス・ディナーと言うようになったらしい。2人ともほろ酔い加減になって、食事が進むと、居間の方が椅子がいいって言うんで、そっちへ移ってどっかり座りこんだそうだ。そして彼がトイレに行った際に、バスルームに積んであった新品のカメラの箱を見るとそれを一つくすねてしまうのだ。彼は自分でもあんな真似をしたのが未だに許せないと言っている。

そしてトイレから戻ってくると椅子に座って眠ってしまっているおばさんを見かけて、台所に行って皿を洗って、孫の財布をテーブルに置いて帰っていったそうだ。そして3、4ヶ月後にやはり気分が悪い(盗みをしたから)彼は再度そのおばさんのいる場所へ行ったが、既に違う人が住んでいていなかったそうだ。多分亡くなったていると思われる。そうすると彼は最後におばあさんとクリスマスを過ごした人と言うことになる。そしてこの物語は多種多様な人種、中国人の監督を始め、ユダヤ人の脚本、黒人やスペイン人やコーカサス人の俳優と言う形で映画化へと結ばれていたそうだ。さて、ここから私個人的にすごく印象に残った場面をいくつかあげたいのだが、ピクニックの場面での無言の長回しは非常に良かった。全くもって説明しないと言う映画の1つの掟がなされていた。

それとやはりタイトルにスモークとある分、タバコを吸う人物がたくさん出てくるが、その人たちによってタバコの吸い方や仕草が違っていて面白い。私はタバコを吸わないため、タバコがどんなに良いものか、どんなに体に害をもたらすのかそういったものには興味がない。しかし、タバコと言うのは、その人の吸いたいタイミングで吸うものなのか、何かをきっかけにタバコを吸うのか、そういったものが観察できるような映画でよかった。この映画結構感動的ではあるが、家族的な事柄についての言及がわりかし少なめなような感じもした。そろそろレビューも終りにしたいが、最後にモノクロのパートでサイレントで描かれるこのクライマックスのアメリカの音楽詩人人トム・ウェイツのイノセント・ホェン・ドリーム(夢見る頃はいつも)を聞いて存分に感動してほしい。どこまでも低く太い声で繰り返し歌われるあのフレーズとともに静に写し出される映像を見ると、感情がこみ上げてくることは間違いない。まさにこの映画はセリフと言うよりかは目で見て感覚で感動を味わう映画だ。だから最期はサイレントだったんだろう。
Jeffrey

Jeffrey