すだなな

ダークナイトのすだななのレビュー・感想・評価

ダークナイト(2008年製作の映画)
4.5
孤高のジョーカー。
他の犯罪者諸々とは一線を画した、断絶した存在。
犯罪行為をある種ゲームかのごとく行う彼の姿を目撃した上で、彼に’’Why so serious?''と言われたら、我々は言葉を失う。
「自警市民」を名乗るバットマンも己が’’自警’’をする意義・意味について彼に揺さぶられたことだと思います。

何が正しくて、何が悪なのか。
この映画では「生まれた時代」が1つの答えになっていました。確かに。時代が異なれば価値基準の全てが異なる。ある時代の正義が、ある時代の悪になる。
それでは、その時代のゴッサムに生まれたジョーカーは「生まれた時代が悪かった」だけで片付けていい存在なのでしょうか。
少なくとも自分は違うと思います。そうしてはいけないと思う。
多くの日本人の心のどこかに「武士道」のようなものがあるのと同じで、「情趣」を解する心があるのと同じで、時代を異にしても通じる何かがあると思います。だから善悪は全て「時代」のせいにしてはいけない。
これまで名を馳せてきた数々の独裁者の多くが、人民の選挙によって選ばれたものです。
何が正しいのか、所謂「常識」を決めてきたのは結局は「人々」もしくは「我々」だと思います。
だとすれば、現代の「ジョーカー」の誕生を避けるために我々が行わなければならないこととはなんでしょうか。
簡単、我々一人一人が「ジョーカー」にならなければいい。
我々のある種、理想の庶民像が「バットマン」であり、反例がこの映画内に現れる「ジョーカー」。そして、その2人の存在、善悪が一瞬であれ逆転するその瞬間、我々の心の中で、確かとして持っていたはずの善悪を揺さぶってくるのがこの映画だと解釈しました。
そして、我々が「ジョーカー」にならないために、を教えてくれる映画がホアキンフェニックス主演の’’JOKER’’だと思います。(いずれ感想を書きます)

IMAXで復刻上映されていたこの映画を映画好きな友達と2人で見にきましたが、自分はこの映画の「重さ」に打ちのめされていた一方で、友達は割とポジティブでした。理由と尋ねると、
「だってこれ、最後ハッピーエンドじゃん」と。
この映画は’’HAPPY END’’だったのでしょうか。自信が持てません。
その後新たな「ジョーカー」がゴッサムに舞い降りることはなかったのでしょうか。この議論におそらく結論はない。
しかし、孤高の「ジョーカー」の、その一つの芽を潰せたことがこの映画にまだ希望があると言える所以であるとは思います。
’’JOKER’’を観た今なら、この’’DARK KNIGHT’’という映画には、まだ僅かな「希望」がある、と言える。どちらかといえばこの映画の「ジョーカー」の方が短絡的な因果関係で説明できる。この映画に年齢制限等がないのもそれが理由だと思います。
出自、出身、アイデンティティその他一切を鑑賞者側に知らせないジョーカーが、「犯罪者」または「究極の悪」というアイデンティティを手に入れて、我々に「善悪」を問いかけるのは、確かに、「わかりやすかった」。
そういう意味での’’HAPPY END’’だと思いたい。

本当に素晴らしい映画でした。
すだなな

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