被害者意識は好きじゃないし
不幸自慢をするために生まれてきたわけじゃない
カメラを突きつけて話してと言うこと以外に何か方法はなかったのか
というかそれをしたかったのだろうだからそこの言及は不毛か。
それをすることで自分の答えに擦り寄せていく作業でしょ。
何も芸術性も8mmカメラもクソもない
この作品は「母に送る魂の告白」なんかじゃない
母への憎しみを募らせ続けた結果の、ネガティヴなムードに浸りたいだけの肥大化したエゴの塊にしか結果感じきれなかった
全部が独りよがりで一方通行の演出
自分のルーツを知りたいと思うこともわかるけれど、そのルーツを辿るまでの方法は
結果を自分の中で身勝手に作り上げてから行うものなんかじゃ決してない筈
『人は希望を見るけれど
より良くなるか
大体はもっと悪化するだけ』
この作品で救われる人はいないし
携わった人間の傷心の方が遥かに大きいと感じる。
こんな芸術の発信はイヤだ
数字や自分に新しくつく記号のために利用してる、人達と変わらないと感じた。
行き着く先は救われる自分じゃなくて
結局救われていない今の自分にひたすら後ろ向きにしか向かってないと感じたから。
同情したところで先に進めるのか
2度と見ないと思う
ドキュメンタリーとしてのメッセージ力が強すぎて、観ることでの害がこんなにもあるんだなと感じた
作品に善と悪があるなら
なかなか拝めない稀有な真っ黒な悪でした
同じ2003年のドキュメンタリー作品なら2Pacのレザレクション観る。