かずシネマ

ツィゴイネルワイゼンのかずシネマのレビュー・感想・評価

ツィゴイネルワイゼン(1980年製作の映画)
3.9
レコードの音っていいよね。
蟹の主張の激しさ。
蟹って蜘蛛によく似てるよね。
ちぎり蒟蒻ぶちまけもったいな…。
美味しいよな、ちぎり蒟蒻。
でも胡座かいて蕎麦が食べたい。
眼球舐め。アレルギー。骨フェチ。
肌の上から骨を触るなら、骨格タイプがナチュラルの人だと分かりやすくてええかもよ。

この原田芳雄の様相は妖しくて野生的で格別に格好良いな。ええ声やし。
癖っ毛な長髪がほんまに似合う。
人ではないかもしれない女性達が放っとけないのも当然。
友人としても、興味深くて羨ましくてそばに居たいのも分かる。人たらし。
追っかけっ子してるシーンはちょっと吹くw
「怖いなぁ…気をつけなくっちゃ」

鈴木監督の作品は「東京流れ者」しか鑑賞できていないんやが(除ルパン)、あれは結構易しかったんやなぁ…。
あれでもオサレでイメージ先行の作品やと思ったけど。
こちら、その比じゃないくらいにアヴァンギャルドだった。
上手く例えられんけど、コンセプトアルバムの1曲目から最終曲までの歌詞と曲調を、映像的な補足や補完等はなく、そのまま映画にした、みたいなイメージ。
歌詞ってそれだけ読むと、物語としては飛び飛びだったり、繰り返しだったり、抽象的だったり比喩的だったり…色々で、小説や絵本や漫画を読む様にはいかない場合が多いやん。
それにコンセプトアルバムは全曲を通して1つの世界観になっていると言えど、1曲1曲は全く別の曲やし。
つまり、上手く言葉に出来ないから何らかのフィルターを通して作ったものを、またそのまま「観ても言葉に出来ない様に」映像にした様な。
…まぁそういう感じ。(?)
ちなみに内田百間は未読。

男女双方とも同一人物かとも思ったし、これら全員が誰かの深層心理に潜む性質の擬人化なのかとも思ったし。
単に狸や狐に化かされたのかもしれないし。
誰の言っている事も事実かどうかの裏付けがとれない描写に留めてあるので、何もかも全部嘘で気のせいかもしれないし。夢かもしれないし。

観た後に、あのシーンの画が良かったなぁ…あのシーンの台詞が良かったなぁ…等と、流れでなく短な場面がどんどんと追い縋る様に湧き出て来る。
オープニングからして綺麗過ぎる。

拍子木の音がええね。

藤田敏八の奥さん(大楠道代)が桃食ってる時の着物が可愛かった。
自分も桃は、子供の頃から味や匂いが苦手で全く食わないんやが、原田芳雄のオーラにあてられたら美味しく食える様になるんかしら。
でも桃って、原田芳雄が好きな「骨」じゃなくて「尻(=肉)」だよね。
レコードは葬式で中砂邸に行った時に盗ったんだと思う。あの時不自然に笑てたし。
ツィゴイネルワイゼンはサラサーテしか演奏できん!と言ってたから好きなんだろうし、「欲しかった」と言ってたし。
(好意的に解釈したら中砂邸に行った時に借してもらって、そのまま借りパクしてた)
大谷直子は「本やレコードを返却希望」の場面の後ろ姿が怪の様。足元が全く映っていなかったし。綺麗。
彼女や家の様子が明らかにおかしかった時(切通しでの噛み合わない会話の場面〜、指パッチンetc)、どちらの人でも無かったんじゃないかと思う。
シルエットだけの原田芳雄が「生まれてからいっぺんもまともだった事はない」という様な事を言うシーンが好き。
最後のシーン、髭剃ってたから自分で…じゃねえかなぁ。
藤田敏八に絡められる手や静かに落ちる照明、暗闇と赤い炎の場面も怪奇で好き。
「幼稚園」は三途の川の向こうなんかなぁ。
この作品においての「向こう」が現世なのか黄泉ランドなのか何処なのかは分からんけど。
というか、この娘、本当にいたの?

屋根に小石は「天狗礫」という伝承が各地にあるらしい。

どうでもええけど「君の骸骨を飾ってやるよ」とか言ってる時に顎触ってんのンフフってなる。

亡くなった人の方が「生きている」ってのは、何かとてもよく分かる気がする。


作品と全然関係ないけど観た後に連想したので書いておく。
「私の分身、私の分身、お前はいつも私のそばにいておくれ」
「今日、貴方は無花果が好きなだけで、明日は他の物が好きかもしれない」
かずシネマ

かずシネマ