Jeffrey

ツィゴイネルワイゼンのJeffreyのレビュー・感想・評価

ツィゴイネルワイゼン(1980年製作の映画)
5.0
‪「ツィゴイネルワイゼン」‬
‪冒頭、パブロ・デ・サラサーテが演奏する題名。レコードが回る、暗闇に桜散る、列車の中、読書し酒を飲む男、盲目のじぃ様、若僧、オナゴの門付芸人の姿。芸者、死体、浜辺で一人囲まれる男、スロー描写、玉蜀黍を囓り、何か音が聞こえてくる…本作は衰退して行くATG映画も八十年代に突入した。そこで一作の超大傑作が鈴木清順により作られた。これはギルド作の中でも最高傑作の一つだと自負するが他者も同じ意見だろう…後の陽炎座、夢ニを入れ大正浪漫三部作となる作品の一本目だ。まず本作は私にとって初めて原田芳雄という役者を知った記念すべき作品でコレをきっかけに怒濤の如く彼の出演作を観た…と同時に清順映画も本作で触れ、それ以降は殺しの烙印、東京流れ者と大量に鑑賞した。物語は医師の青地が旅先で旧友の中砂に出くわすもなんやら警察に引渡されるムードを感じた彼は中砂の身分を説明し救う。中砂は青地を旅館に誘い鰻を食い、葬式帰りの芸者とひと時を過ごす。翌日、三人は飲む。それから一年、中砂が結婚したと青地は彼を訪ねる。妻は芸者の小稲に生写し、それからスキヤキを食しサラサーテのレコードに録音された不思議な声についてを話し合うのだった…とあらすじはこうで、そこから二人の知識人が意味不明な声に議論する事により、周囲の人々の交遊を描くも現実では無く妄想めいたストーリーが展開する。そこにはエロスがあり、怪奇な出来事がある。いやーまさかの帰結に当時は震えた。あの無数の灯篭と手招きする子供が意図する事を知った際はもう…清順ファンになる。また劇中の洋館と日本屋敷との対比も魅力的で、題材もそうだがこう言った風土の違いに西洋でも本作は大ヒットしたんだと思う。イメージでしか観客は本作を理解出来ない。死生観を問う清順の世界観は見ものだ。荒涼と化した河原で故樹木希林の姿を見ると悲しくなる。凄く好きな役者だったし。にしてもあの盲目の旅人、弟子を含み凄い印象を掻っ攫って行くな。また伊丹十三のタンポポが西洋にラーメンブームを巻き起こした作品なら本作はスキヤキを広めた作品だろうと勝手に思ってる。そして物語が開始された四十三分後が清順美学を堪能できる最大の見所、シーンとカットのあのトリックに脱帽する…僅か一瞬の燃え盛る火を障子越しに映るあの幻想で蠱惑な演出は素晴らしく、たった三分程の場面だけを私は繰り返し観た。で、原田の骨をしゃぶる様に女を抱くあの奇妙な触れ合いや目を舌で舐めるあの描写がまた印象的。肉を抱えるかの様な女の担ぎ方、腐りかけが何でも美味いのよと、湿疹する女に言い、蝙蝠の翼に見える袴着で家中に出現する原田の怖さ、その袴を吊るし絡み合う男女と次の瞬間に男が消え、女は手鏡で自分を映す…まぁ巧みで意味不な演出が堪らないね。盥に浮かび三味線の音色を奏で、門付のじぃ様と弟子が砂に積もり棒で頭を叩きつけ合うシュールな描写、あの穴にすっぽり入る仕掛けはどうなってんだろう…白砂の丘でロープを体に縛り付け儀式的な行動をする原田の表情が音楽と交じり圧倒する、咲き誇る桜の木の空撮と煽り構図がまた美しく、一種の象徴になり風光明媚な山岳や自然、切通し、光明寺も清順ならではの美学に通ずるものを感じる。また枯れ木の先に見える海と鈴の音が聞こえ歩く親子の後姿の哀愁漂う背中、これまた一瞬だが死体三人をガラス張りになってる床で下からカメラアングルが原田を捉え、何本も蝋燭が光輝の炎を燃やすカットも凄い。所々に静寂と無音状態に妖しい音楽が強調される。そしてあのラスト…正に極彩色浪漫ミステリーの傑作だ。俺も銀色のドームで本作を鑑賞したかったな…。‬ ‪この鎌倉の美しい地で繰り広げられる男女四人の妖艶世界を堪能してくれ。‬
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