阿房門王仁太郎

太陽の王子 ホルスの大冒険の阿房門王仁太郎のレビュー・感想・評価

4.5
 白土三平の『ワタリ』の影響を多大に受けた作品と聞いて視聴。
アニメとしては、緩急の利いた躍動感あふれる演出が素人ながら大変見ていて面白く特に終盤のホルスとヒルダの剣戟のシーンなど、両者の葛藤をも剣捌きに現れているようだった。(作画とかに関しては素人なので割愛。ただ動いている物それこそ動物や風邪でさえ私には生命の香りを感じられて面白かった。前見た、『メトロポリス』が非生物の崩壊を魅力的に描いたのとは対照的だと感じた)
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 実質この物語はヒルダの物語ではなかろうか。独りでいるのは寂しく、ホルスや皆は愛しい、然し誰かといるには悍ましい欲望や宿命或いは憎悪に近づきすぎており親しみ過ぎている。その両面の葛藤は序盤の大カマスを討ち取り村に親しみだしたホルスの屈託の無さと正しく対照的で、あの少年が終生味わうであろう牧歌的な少年活劇、単純な人と悪魔の二項対立の世界観に一石を投じ物語に奥行きを生じさせている。それに、あのどこまでも牧歌的なホルスより、屈折した感情を一人抱えるヒルダの怯え様こそ我々に近い筈だ。実際ホルスはその彼女の愛憎(や視聴者の心情)の襞により今まで有り得なかった類の断絶や個人的な葛藤に悩むのである。
 そして彼はその葛藤を乗り越え再び団結の道を選び、そして悪魔を成敗するのだが、それはヒルダを肯定した新しい形の団結なのである。エゴの抹殺ではなく、それやそれに起因する軋轢を勘定に入れた相手を許す団結なのである。個人的にはそれに主人公が気づく、即ち大人になる為に「悪の権化」の片割れが必要だったのだ。それに、その悪の権化が大人になる為にも純真な太陽が必要なのは言うまでもない。
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 個人的には共同体の可能性を模索している点で『ワタリ』の影響は単にホルスの格好や斧に止まらないと感じているが、その結論はだいぶ違うと思う。『ホルス~』では共同体の可能性をヒルダとホルスの和解で以て肯定的に描いている一方、『ワタリ』では「0の忍者」の遍在で以て否定的に、詰まり共同体に関する根本的な反抗の必要と可能性を説いているからだ。即ち、『ワタリ』の方がペシミスティックであるといえよう。
 尤も、ホルスが悪魔を打倒した縁に愛を置いたようにワタリの逃避も強烈な妥協無き仲間そして自己の生命への強烈な愛着である。両者の共同体への決断と離反が結局愛憎に基づいている以上それも又表面的な問題に過ぎないだろう。共同体の問題は即ち個人の問題の集成なのである、個人に閉じこもっても生きていけないが、社会に心を支配されては生きていてもしょうがない。実際『ホルス』が村に着いた序盤の説教臭い共同体的団結の理論は、終盤に於いて訪れこそすれそこに入れない人間の葛藤が言外や描写外に見られる為に、よりパーソナルでスリリングだ。

これは余談だけど凄く疲れるアニメだと思う。充実感も感じるけど、ここまで一人の心情を追う体験は珍しい。
阿房門王仁太郎

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