青山

エターナル・サンシャインの青山のレビュー・感想・評価

エターナル・サンシャイン(2004年製作の映画)
4.7
バレンタイン直前に彼女と喧嘩した主人公。謝るために彼女の職場へ行くと、彼女は主人公のことなど忘れたかのように、他の男とキスをしている。憤って友人に相談した主人公は、彼女が記憶消去手術で「ように」ではなく本当に自分のことを忘れてしまったのだと知る。ショックを受けた主人公は自分も彼女の記憶を消すため記憶消去手術を受けに行くが......。

2度目の鑑賞ですが、(うろ覚えながら)内容を知った状態で見たことや、単純に前見た時より歳をとったことで、当社比5千億兆万倍楽しめました。楽しめたっつーか、しんどかった。人は何故わざわざしんどくなるために物語を摂取するのでしょうか......。

まずは......
キャスト、良いです。
変顔のイメージのジム・キャリー、普段はイケメンなんですね。こんな役も出来るのかと驚きました。逆に正統派なイメージのケイト・ウィンスレットは髪の色が信号みたいにコロコロ変わるエキセントリックな役という意外性。
脇役も、今とイメージ違って気づかなかったマーク・ラファロ、少なくとも男から見たらめっちゃ可愛いキルスティン・ダンスト、トレインスポッティングに出てきそうなイライジャ・ウッドなどなど魅力的な面子が揃っています。

映像、めちゃくちゃ良いです。
奇妙でポップで幻想的な映像が魅力のゴンドリーなので、混線する記憶というのはうってつけの題材なのでしょう。現実離れしていながら映像自体が心理描写としてリアリティを持っていて圧倒されました。

でも、キャストの良さも映像のめちゃくちゃ良さも、全てこの脚本の魅力を最大限に引き出すためのものにすぎません。それくらい良く出来た脚本で、私は作家でも脚本家でも何でもないただの一般人ですが、こんなお話かける発想力に嫉妬してしまうほどです。
この作品は、SFの道具を用い、ミステリーやコメディやホラーを小さじ2杯ずつくらいまぶした恋愛映画です。
SFとしての道具立ては、誰もが一度は考えたことがあるでしょう、「つらい記憶を全てなかったことにしたい」という気持ちの具現化。そこに恋の不思議さ、不気味さ、滑稽さ、それぞれの要素が全てラブストーリーに寄与しているのです(不思議と不気味というワードチョイスは敬愛するスピッツより)。
また、脇道である受付嬢の件も何と言うか、何とも言えない、ぐわあぁぁぁ〜〜と叫ぶしか感想を表せないようなしんどい話で印象的です。
細部の幸せな記憶の描写も、幻想的な映像のわりに実際にありそうな、でもやっぱりロマンチックという絶妙なラインのいちゃつき具合でこんな経験してみたいなぁと思わされちゃうこと請け合いです。ちくしょうめ。
そして「楽しもう」というセリフがヤバいです。たったの5文字でここまで胸を締め付けてくるとは......。監督に向かって負けましたと投了したい気分にさせられました。しんどいわー。

なにぶん時系列がめちゃくちゃなので1回見ただけでは頭がこんぐらがりますが、2回見れば起こったことは大体納得。しかし何度も見ればまた新しい発見がありそうな、とにかく緻密な構成なのです。なのです。
実際観終わってからもう一度冒頭だけ見返したら、あるわあるわ伏線の山。ミステリファンとしてはこういう見返してはじめて気付かされる緻密さが堪りません。
でも緻密なだけではパズルと同じ。本作の恐ろしいのは、緻密なパズルのような構成からめちゃくちゃ心を抉られる物語が浮かび上がるところです。

好きだったところはそのまま嫌いなところになるし、何度やり直したって同じ失敗を繰り返すだけかもしれません。しかし幸せと不幸は常にセットでしか注文できないものでして。「ブッタとシッタカブッタ」で、シッタカブッタが不幸の谷を埋めるために幸せの山を切り崩していくと、最後には幸せも不幸もない平地になってしまうというお話があります。どんなにつらい恋でも幸せなこともある、つらさを忘れるために記憶を消したら何も残らない。
いやいや、そんなことは分かってますけど、それでもつらかったらやっぱり全てなかったことにしたいのも人情人情 江戸前江戸前でありまして(水曜日のカンパネラ『お七』より)。
要するに、これを見終わった今、私という箱の中には恋をしたい気持ちと2度としたくない気持ちが同時に存在しています。
さて、これから箱の中身を観測しに行くとしましょう。
青山

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