このレビューはネタバレを含みます
最後の最後でティム・ロビンスが監督・脚本をしていたと知りました。
死刑囚がシスターに助けを求めて、シスターがそれにできるだけ応えようとするお話です。
初めの方にシスターが「死刑囚になるような奴は他人の善意を利用する隙を常に狙っているからあなたも気をつけなさい」みたいなことを言われるので、「シスターが死刑囚に同情するもやっぱり死刑囚に完全に騙されていました!(死刑囚は反省も後悔もしておらずただの自己保身で演技していただけ!)」というオチになるのかな〜と思って観ていました。
むしろそうなってくれた方が良かったくらい、死刑囚にイライラしました。
お酒とドラッグでハイになっていたから、相棒は自分よりガタイが良くて逆らったり逃げ出したりするのが怖かった等々、言い訳ばかり。
殺されたカップル(女性の方はレイプされた上にメッタ刺しにされていた)は、何もしていないのにそんな惨たらしい殺され方をしたのに。そんなひどいことをした奴を注射で苦しまずに逝かせてくれるなんて被害者遺族はめちゃくちゃ寛大でしょ!💢
それなのに「人を殺すのはいけないことだ。政府や被害者遺族が死刑囚を死刑にするのも」みたいなこと言うの、何も反省してないでしょ!💢と思います。
自分のしたことを棚に上げてなに自己憐憫に浸ってるんだよ💢ともう本当にイライラ。
しかも「本当の愛を知らなかった」とか言うんですけど、家族と割と仲良しだし、お母さんは特赦審問会に出てくれて、しかも大泣きしてくれるんですよ。
お母さんも弟さん達も「モンスターの家族」として周りの人から白い目で見られたり いじめみたいなことをされたりしても、そんな風に味方でいてくれてるんですよ?何が「本当の愛を知らない」だ💢
もし彼が本当の愛を知らないのだとしたら、それは「悪いことをしても赦してくれる人がいる」ということが「本当の愛」ではないということだと思います。
悪いことをしてもヨシヨシすることが「赦し」や「愛」ではない、と私は思うんですよね。
だってそれって、「お前は自分のしたことの責任も取れず償いもできないクソ人間だ」と周りが認めたようなものじゃないですか?
悪いことをしたら本気で怒って本気で罰する、これが本当の愛なのでは?
「叱らない育児」としてただ育児放棄している(子どもと本気で全力で向き合うことから逃げている)人達も同じ。
だから、シスターが寄り添ってくれちゃったからこの死刑囚はさらに「本当の愛」から離れちゃったんですよ(私の独自解釈)。
だって、「死刑囚にも愛を与えられるワタシ♡」の方が自分の気持ちは楽なんですよ。セルフイメージが「善人」になるから。
人を殺すなんて、何の正当性もない殺人を犯さないまともな人にとっては合法でもしんどいことだと思いますが、それに耐えて執行してきちんと罰を与えてくれる方がよっぽど「愛」じゃないですか?
だから号泣してくれるお母さんがいて「本当の愛を知らない」になるのでしょう。
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私は死刑制度に関しては、単純に刑務所の空きを増やすために必要だと思っています。刑務所がパンパンで微罪だと逮捕されないみたいなことになるのが嫌なので。たしかカリフォルニア州ではそういう理由で日本円で言うと10万円以下くらいの万引きは実質無罪になって、万引きが起こりまくって小売店の閉店や倒産が相次いでいるとかだった気がします。死刑になるレベルの囚人とそういうレベルの犯罪者が入るような刑務所は違う(死刑執行しても窃盗レベルの犯罪者を収容するキャパは増えない)のかもしれませんが。
もしくは、強制労働させてその収入をすべて天引きで遺族に送るとかかなぁ。
死刑を執行しても失われた命は返ってこないので、だったら死ぬまでお金を送らせるくらいの方がいいかもしれません。
この映画でショーン・ペン演じる死刑囚にまったく同情できなかった(=シスターにまったく感情移入できなかった)私は非情なのでしょうか。
本当に問題なのは、死刑制度があることではなくて、より残忍なことをしていた相方がこの死刑囚より軽い罪(終身刑)になったことです。
映画の中のことしかわかりませんが、映画で見る限りアメリカの司法制度は弁護士の力と陪審員に対するパフォーマンスに左右されすぎな気がします。全然公平公正じゃなくて、そちらの方が問題かと。
とにかく、「死刑囚に同情しちゃう……」「赦しも大事ダヨネ……」みたいな「自己愛」に陶酔する人を生み出している本作は、私の中では名作ではなく問題作です。