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生血を吸う女の猫脳髄のレビュー・感想・評価

生血を吸う女(1961年製作の映画)
4.0
タイトルは「なまち」を吸う女である。Filmarksの製作年が1961年となっているが、実際は60年である。イタロ・ホラー初のカラー映画とされている。

ヨーロッパでは50年代後半から英ハマー・フィルムが怪奇映画に先鞭をつけ、イタリアではリカルド・フレーダ、マリオ・バーヴァ(※1)がハマーと競うようにゴシック映画を撮り始めた。また、フランスでもジョルジュ・フランジェのグラン・ギニョール劇「顔のない眼」が59年に製作されている。アメリカでの取り組みを吸収しつつ、欧州怪奇映画が60年代には全盛期を迎えることになる。

前置きが長くなったが、本作はまさにその欧州怪奇映画の結節点となった。同時代の代表的な怪奇・ゴシック映画からモティーフをサンプリング(※2)しているにもかかわらず、単なる模倣に終わらない格調を獲得することができていると言う奇跡的な作品に仕上がった。

舞台はロッテルダム近郊。彫刻家の父親が、奇病を患った娘のためにマッドサイエンティストを雇い入れ、彼女の血液を入れ替えるべく若い女を拐かす。自宅に隣接する風車小屋には不気味な蝋人形の劇場が設けられており、父親は女たちの死体を…という筋書き。

本作が剽窃に終わらない格調を得た要因としては、娘役シラ・ガベルの演技・演出と、特異なカメラワークがあげられる。まるで亡霊のように生死を往還するような演出を施されたガベルは、特に、「死体」として振舞っている際には、どうにも死んでいるようにしか見えない。確かに若干やつれたメイクと照明の工夫はあるにせよ、目を閉じただけでは決してない、死体そのものとしか言いようがない風情で、これが不思議である。

また、スルスルと動き回るカメラが、例えば開いたドアの向こうに角度をつけて滑らかに潜り込む様子など、ちょっと同時代ではなかなか見られない優雅なショットが興味深い。

さらに、クライマックスで燃え上がる水車小屋と溶解する蝋人形のシークエンスはなかなかのカタルシスである。父親役がサイレント時代を引きずったベラ・ルゴシ調のイナタい芝居なのはいただけないが、それを措いても余りある傑作である。

※1 マリオ・バーヴァ「血ぬられた墓標」(1960)と同時期の公開である
※2 観測できるだけでもアンドレ・ド・トス、ジョルジュ・フランジェほか、カール・テオドア・ドライヤー、リカルド・フレーダ、ジェームズ・ホエール、果てはロジャー・コーマンまで幅広い
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