すかちん

少女ムシェットのすかちんのレビュー・感想・評価

少女ムシェット(1967年製作の映画)
4.0
1966年の『バルタザールどこへ行く』と翌1967年の本作とは双子のきょうだいみたいなもので、驢馬のバルタザール=少女ムシェットである。

ムシェットが履く無骨な重い靴の音はバルタザールの蹄の音だ。運命、というよりは偶然に翻弄され、周囲と折り合いがつかず、それでも与えられた仕事は淡々とこなす(人数分のカフェ・オ・レを手際よくつくるムシェットの所作のみごとさよ!)ところも同じだ。バルタザールがアンヌ・ヴィアゼムスキー演ずるマリーから花冠を飾ってもらう場面、生の喜びを微かに感じさせるあの場面に匹敵するのは、本作では、遊園地のゴーカートのシーンだろう。たまたま出会った少年とお互い車体をガンガンぶつけ合って遊ぶ、そこでムシェットはほんの一瞬笑顔を見せる。80分の映画のなかで彼女が笑顔を見せるのはここだけなのだ。

ムシェットは、無口とはいえ、人間だから言葉を持っている。表情も行動も、驢馬のバルタザールよりは読み取りやすい。観客のほうに、ブレッソンは若干寄り添ってくれたのかもしれない。

その反面、ラストは前作以上に過酷だ。前作の羊の首のベルと共鳴するかのように、教会の鐘の音が断続的に奏でられる。母親の葬いのための衣装を纏い、地べたをごろごろと何度も転げまわるムシェット。しかし、まったく救いのない、悲惨な少女の物語とこれを呼べるだろうか。彼女は生きることを諦めたのだと一言で済ませられるだろうか。

前作がデビュー作だったヴィアゼムスキーはのちに職業俳優(にしてゴダールの伴侶)になったが、本作のナディーヌ・ノルティエは映画はこれ1本のみ。的確にして残酷なブレッソンの少女選球眼は、『牯嶺街少年殺人事件』でリサ・ヤンを抜擢したエドワード・ヤンが継承する。前作で浮浪者、本作で密猟者とキリストのメタファーとも言える役を演じたジャン=クロード・ギルベールも、映画はこの2本のみ。
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