映画男

日本侠客伝の映画男のレビュー・感想・評価

日本侠客伝(1964年製作の映画)
4.5
画面の奥行きに注目。どのカットをみても、奥で人が動き、絵になっている。チャンバラシーンだけじゃない。ドカタ仕事、家屋での会話、道を歩くといったなんともないような場面でも奥の奥まで演出が行き届いている。空間を最大限使うから、映画の中に圧倒的な「虚構のリアリティ」が生まれている。このシリーズ、何本か観たが、ここまで奥行きが活かされているのは第一作のこれだけだった。たぶん、予算が特段多かったのだとおもう。余談ではあるが、だいたい最近の日本映画は、居酒屋、カフェ、学校の教室などのシーンにおいてはたいがい演者は端に座る。カフェや教室の窓際で黄昏れる主人公をみなさんも何度も見たことがあると思うが、これは単に、エキストラの配置を減らして、経済的、効率的に撮影を進めるためだ。そうじゃない例もあるとおもうが、おおかた9割はお金と時間の都合だろう。これは映画制作に携わるものとしての個人的な実感である。やっぱり予算があるなら、豪華なセットや有名キャストに金を使うだけでなく、一つ一つのショットを充実させるような人の配置、ヌケの演出も大事だとおもう。余談ここまで。高倉健の受けの芝居に注目。長門裕之がコメディリリーフ的な立場でみんなを笑かす。この時の高倉健の圧倒的なナチュラルさ。基本的には渋みが効いた顔で演技する高倉健が、あたかも芝居していることも忘れたかのように、クスッと笑う。これで観客は、是が非でも高倉健に親密さを抱かずにはおれなくなるとおもうのだが、どうだろう。この緩急。これぞ、健さんの魅力じゃないかしら。鶴田浩二や松方弘樹といった、後年にも語り継がれる役者も当然素晴らしいが、高倉健が頭一つ抜きんでて国民的に未だ愛されているのは、こういう細かい芝居の積み重ねが観客の庶民的な心情に溶け込むからだとおもう。これは後追い世代が客観的にみた感想である。リアルタイムで観た方々にはそれぞれの思い入れがあるだろうが、俺は、まあ、そう感じるのであります。兎角、名作。
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