このレビューはネタバレを含みます
反意味でも非意味でも、勿論無意味でもない、ただのそれそのもの。世界の果てであると同時に真ん中ででもあるかの様な。
あれもこれも、空虚であるからこそ充溢する「映像」。
それは「海」か。
それは灰色の水面であり、寄せては返す無数の波であり、轟き続ける潮騒であり、白濁する泡また泡であり、波の間に間に洗われる岩礁であり、反射して輝く太陽の白光であり。
繰り返し繰り返し、繰り返す。少しずつ少しずつ揺らいで、ズレて、ブレながら。
映画に物語を期待するとは画面の中の現在に過去から未来へと連関する文脈的な意味を期待すること。現在はしかし、確かにそういうものであると“同時に”全然そんなものではない。
言わば、音楽の図解としての映像ならぬ、音楽の形象としての映像。
映画館でこういうものを見ると、映画館に入る事と出る事とを意識する。映画は世界と地続きだと感じる。