正直、この映画のケイト・ブランシェットにエロ味を感じないと言ったら嘘になる(個人的に)。
スピルバーグの世界だと、基本的に闇よりも光(光るモノ)の方が怖い。
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「死」なんだよな、なくちゃならないんだよ。
簡単に死ぬけど、簡単に生きるんだよ。
活劇ってのは死の上の舞踏なんだよ、きっと。
そして解き放たれた死そのものの前には「目を瞑れ!」と叫ぶんだよ。
畏>>続きを読む
やっぱり『パターソン』in TOKYO
なんだかオープンワールドRPGの中で生かされている、みたいな。
模造された箱庭の中の模擬自由生活、みたいな。
(『パターソン』にはそれでもその内閉的な世>>続きを読む
人は映画の物語の中に、人と人との間の何某かの劇的な交接、即ちドラマを期待する。それは映画的な観点では、いわゆる「切り返し」の瞬間を期待することなのではないか。
しかしこの映画には、そんな人と人との間に>>続きを読む
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老人の、老いた男女の、夫婦の映画。男女が性交に及ぶ場面が二つあるが、それらは意味的な繋がりこそないにせよ、物語の中の老いた男女、夫婦に於いてその実存が晒されている精神の飢餓と、それ故にこそ生じる希求的>>続きを読む
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なんで帽子なんだろうと思う。それくらい人物が帽子をああしたりこうしたりとほとんど忙しないくらいだから。それと足のクローズアップ。リズムを踏んで見せるのはなんのサイン(?)なのか。あるいは煙草、吸って、>>続きを読む
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短縮版でもより作品として体裁の整えられた14分版を見てからの方が20分版の方も見易くはなる。
サイレント喜劇では警官の追走や監視を受けるのが主人公側と決まっている。それは端的にその設定が映像的な運動を>>続きを読む
僅か11分の短縮版でも何故かしらしっかり絆される。それは定型的ではあれ人間的な物語の力なのか、あるいは、たとえば帰り人を待ち侘びる田中絹代の窓際に佇む様子を捉えた、そんな一つ一つのショットの力なのか。>>続きを読む
歴とした趣味があるというだけでは映画にも映画の「作家」にもなり得ないだろうが、小津には趣味に過ぎないものを演出という銃に実弾として装填して標的をきっちり射抜いて見せる力がある。だから趣味に過ぎない筈の>>続きを読む
「和製」というタイトルの諧謔。モダン趣味の横溢する長屋住人の生活。
「喧嘩は神聖だ! やるだけやらせろ!」
空ショットの鳥籠。
列車と自動車の並走というイメージはもとは何に由来するのか。
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敢えて、とにかく直観的にでも、これは「映画」か「アニメ」か、みたいな二分法の考えで見て仕舞えば、やはりこれは全般的に「アニメ」の脚本であり演出でしかないんじゃないか、とは思えてしまうが(「映画」ってな>>続きを読む
「バス」と言うと、いつもなんとなくこの映画のバスを思い出す。
どこに行っちゃったんですかね、本当に。
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結構な、結構なミュージカル映画。映画という媒体自体がはらむ虚と実との狭間のあわいの最中で、歴史的な死者と生者とが転移する。鮮烈な物象の一音、人間の一声の前には真偽も善悪も美醜も瞬間沈黙を余儀なくされざ>>続きを読む
女の諸相、男の群像。「昭和」の紋切り型ではあれ、そこになけなしな命を込めるメリハリの効いた演出。
現在となってはモロ昭和なエモさでしかないとも言えるが(制作年代は平成だが)、それがきっちり面白い。そ>>続きを読む
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スポーツものにありがちな王道的な、テンプレなキャラクターやらストーリーやらで、しかしそんな中でも「映画の血肉」とでも言うべきものを感じられる。(それは言ってみれば白地の中で白の白さを描くような困難さじ>>続きを読む
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たとえば『この世界の片隅に』の様な、リサーチを積み重ねたのだろうディテールの厚みはあり、それが複眼的な視野の広さを担保しているが、それと同時に良くも悪しくも如何にも日本映画的に、肝心なところでセリフが>>続きを読む
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なんでもありか?
あり、みたい。
ホラーの体裁を活劇的にぶち破って来る展開から、一見怖く無くなる様な感じもありますが、でもやっぱりなんかヤバい感じもなんとなく残る。
映画のあちら側からこちら側の現実>>続きを読む
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クローズアップではないがロングショットでもない距離感の中で、移動と移動が交錯する。それを決して主体視線を交えず客体として映すことを徹底的にやる。
移動と移動が交錯することは時間と時間が交錯することでも>>続きを読む
イメージとイメージを結ぶ最短の速度を模索するモンタージュ。
時空をふるわし、つらぬき、消える、物理的な命を生きるものとしての(書き言葉ならぬ)話し言葉。だからこその「大気の衝撃」。
「美しい」と言>>続きを読む
写し取られたもの、映し出されたものから、命、息吹、みたいなものは、確かに感じられた、様に思える。
生きた言葉。
音楽は映像を彫琢する(よくも悪しくも)、というセンスを自覚的にもっている感じ。
(>>続きを読む
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画面のスタンダードサイズに必然性があったように感じた。
主人公の体躯のフォルムに適合的に見えた。
善悪とか美醜とか、あるいは被害とか加害とか、そんな二項対立的な尺度の偏狭さの向こうに行きそうで行けな>>続きを読む
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映画の光彩の中ではアナの両の瞳は黒味がちに映り、時に本当に黒々とした、それこそ暗い穴の様にも見えてしまうが、しかしその瞳はいわゆる節穴のまなこの様に何も見ていないのではなく、むしろ只管無限にものを見出>>続きを読む
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「悪魔」が本当?に悪魔?だったのか、実は判らない。メリン神父のイランでの描写や瞬間的な幻視も示唆的なイメージの粋を出ず、カラス神父との問答でも「悪魔」は遂に尻尾を掴ませない。
人物同士、互いの人生が>>続きを読む
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いわゆる「切り返し」がほぼない。(ほぼないだけで、終盤のある場面ではそれに準じるキャメラワーク、構図はあるのだが、それはそれでその場面では逆に必然的なものでもある。)そのかわり頻繁にあるのが人物同士が>>続きを読む
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たとえば、レスリー・チャンが演じる程蝶衣、あるいは虞姫を演じる程蝶衣が、男であるのか女であるのか。それを判然とさせることは出来ないし、またさせることに意味がある訳でもない。蝶衣は劇中、最後まで、そらん>>続きを読む
正面からよりも横、その首から肩、伸びた腕までの筋の流れの精悍な滑らかさ、その艶やかさ。
そこに被写体としての綾瀬はるかの魅力を見出そうとした映画、だったのかも。
「女優」の映画を撮らせよう、というこ>>続きを読む