なんでデトロイトの白人ラッパーの物語にこんなに感情移入するんや。
デトロイト郊外の荒廃したどうしようもねえ街。母親は男頼りのニート、住んでいるトレーラーは家賃滞納で退去通知、バイト先のプレス工場で配給されるしょうもない弁当。
主人公のエミネム=B・ラビットを追い込む貧困と彼が抱える何者にもなれない鬱屈は、アメリカ下流社会に暮らす若者の象徴だ。
ラビットはとにかく金がない。そして、金がないことで、彼の人生の難易度はあがる。シビアな状況にどんどん追い込まれていく。
映画をよく見ると、
作中で描かれる問題のほとんどすべては、
「金がないから」で説明がついてしまうことに気付くだろう。
残念ながら、このことは人生の真理だったりする。
人は言う。金はすべてではない。
実力、チャンス、地位、運、名声。
人生の成功を左右する計算式は、さまざまな因数によって決定される。
それはたしかだ。
しかし、それはは金があってこそ、はじめてまともに機能する。
金がないと夢をつかむ機会にすら恵まれない。
サクセスストーリーへのエントリーフィーは、一定以上の金である。
だからラストシーン、ラビットはラップバトルの大会に優勝し、名誉をつかむも、ひとり工場のバイトへと戻っていく。金を稼ぐために。
残酷で、身もふたもない状況で静かに闘うひとりのラッパーのドラマは、遠く海を隔てた日本人の胸を撃つ。
最近、日本でも第何次かのヒップホップブームが来ている。
いままでのブームとのちがいは、本場のギャングスタラップと遜色ないくらいシビアな貧困をラップするグループが支持を集めている点であろう。
川崎市池上町をレペゼンするクルー・BAD HOPはこの街で成り上がるには人を殺すか、ラッパーになるしかない、と歌った。そんな彼らが武道館でのライブを決めたのは、まさに8Mile的なヒップホップドリームそのものだ。
貧困とラップ文化はわかちがたい。日本でもギャングスタラップが可能となったのは、この国も拡散が拡大し、貧困が身近なテーマとなったからであろう。
それが、いいことなのかわるいことなのかはわからない。
ただ、これだけは言える。
いま、見られるべき傑作であり、今後、もっと見られるようになる映画だろう。