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意志の勝利のkinoのレビュー・感想・評価

意志の勝利(1935年製作の映画)
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見ながらメモしたことをちょちょっといじっただけなので、とても散文的な文章。

 オープニングでは不安と恐怖のこころのざわめきをすごく感じた。
(以下は、ヒトラーかつ「自分を選んだ国民が悪い説」は間違っていた前提で)
 同調圧力の威力は認めるが、そこにあったものは同調圧力でも思考停止でもなく心からの希望とみえる。今では信じられないような禁句が飛び交い、決して褒められることない男が称えられている。心理的にエグい映像ではあるけれど、これを封印してはいけない。このような映像は絶対に未来に残して多くの人が観るべきだ。
 そして、今とは前提が違えど、これは過去にのみおける過ちではない。今を振り返れば同じことが繰り返されようとしてるのが分かる。今自分が、急進的で攻撃的なものに拒否反応を感じるのは、ヒトラーを以後の時代に見つめ直しているからかもしれない。当時の人々は急進的で攻撃的なものの過ちの前例がなかったため、拒否反応をも感じなかったのかもしれない。
 これは、洗脳でも同調圧力でも思考停止でもない。自分たちで選んだのだ。耳に心地よいからそちらへ向かったのだ。そして、これは何も当時の人々の特性ではない。そのような要素は同じ人間である自分たちの中にも眠るものなのだ。それが重要なことだ。戦争はいかん。勿論だ。でも戦争がいかんのではなくて、人間の悪意がいかんのではないか。それと無意識、無関心。
 自分がこの時代に生きていたらどうだったろう、と考えてみる。が、無理だ。何もかも今と違いすぎる。だから、自分は過去に自分自身を置いて考えるのではなく、今の困難に目を向け生きるべきだと思う。

そして、これよりも今のさりげないプロパガンダの方がやばくね?と思った。
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