このレビューはネタバレを含みます
古くて単調で全く面白くない老姉妹の日常の物語。
そう思っていたのに、ラスト1分で全てが変わりました。
あくまでも、私が受けた感覚です。
若い頃、この海には毎年鯨が訪れていた。
でも、大戦後、鯨は姿を見せなくなった。
それでも毎年夏になると、鯨が来てくれると信じている老婦人セーラ。
単調な流れから一転、最後は鯨が現れて感動のラストになるのかなと期待した。
それでも鯨は結局現れなかった。
そこでセーラは言う。
「鯨は行ってしまったわ」
そしてハッとする。
大戦で死んでしまったセーラの夫。
鯨は尻尾にどこかの大陸の寒気を連れてやってくる、と信じてた幼少期の話。
大戦を境に来なくなってしまった鯨。
多分セーラは、夫は死んでしまったとわかってはいても、まだ完全には乗り越えることができていなくて、例え亡霊であってもいい、ふらりと現れてくれるのを待っているのだ。
目が見えなくなって卑屈になってしまった姉リビー。
歳老いて若い頃のように動けない体になっているにも関わらず、昔と同じようにせかせかと部屋を綺麗にしたり、お花を飾ったり、あげくの果てには今更大きな窓を作ろうとしたり。
貧しくても、来客に対しては出来る限りのおもてなしをしたり。
こういった律儀な行動が、同居する目の不自由になってしまったリビーには疎ましくて仕方なかったんだと思う。
“あなたが何をしようと私には見えない、関係ない。花があろうと窓があろうと、私には見えないのに”
“私の世話だけしてくれればいいのに”
そんなふうに思っているように見えた。
でも、サラがひっそりと亡き夫との結婚記念日を祝っていたと知ったとき、リビーは気づく。
セーラは、今でも夫を待っているのかもしれないと。
夫との大切な記念日を自分の悪夢のせいで台無しにしてしまったリビーは、申し訳なさからか、一度は妹から離れようとするけれど。
妹が家族との思い出の家を守ったことで、リビーも、独りぼっちの寂しさからセーラを守らなければと思ったのかな。
セーラは、大戦とともに来なくなった鯨に、夫を重ねている気がした。
だから、もう見ることもないのに毎年来てくれてると信じる。
リビー「どう?見える?」
セーラ「鯨は行ってしまったわ」
ほんとは来てくれてたのに、私が少し来るのが遅かったから会えなかったと言わんばかりに。
リビー「わからないわ。そんなこと、わかるものですか」
姉のリビーは、セーラの希望を絶やしてしまわぬよう温かい言葉をかけ、余生を共に乗り越えていこうと思ったんだと思う。
東京に、このタイトル同名の居酒屋?バー?があるとテレビで紹介されたときに、島崎和歌子さんが
「いい映画よね〜」
と言っていたのが印象的で、ずっと観たいと思っていました。
そして、この先も折に触れ見直したい作品になりました。