あずき最中

トイ・ストーリーのあずき最中のネタバレレビュー・内容・結末

トイ・ストーリー(1995年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

●印象に残ったシーン

・アンディーのバースデーパーティを偵察する兵士たち
他のおもちゃに比べると、とても小さく主張の少ないグリーンアーミーたち。
そんな彼らがプレゼント開封の瞬間を偵察する様がけなげで仕方ない。
アンディ母が兵士をうっかり踏みつぶしてしまうシーンなんかは、よくあるシチュエーション。
「自分も知らず知らずのうちにおもちゃをぞんざいに扱っていたかも…」と反省する人もいるだろうし、「あの兵士、大丈夫かな」と自分事のように心配する人もいることだろう。シンプルながら、観客を一気にトイ・ストーリーの世界に引きこむきっかけになるシーンだと思う。

・シドの改造おもちゃたち
ひさびさに彼らの姿を見て、正直とてもびびった。
グロテスクな見た目の反面、哀愁がただようキャラクターたちである。
個人的にはつり竿と人形の脚が合体した「レッグス(あんよ)」が好きだ。シド君はシリーズ3作目で清掃員になっている説があるけれど、前衛的なアートを作り出していてほしい。

・精神崩壊するバズ
とあるきっかけでおもちゃのCMを見てしまい、「自分はスペースレンジャーでもなければ、自力で飛べもしない」という現実に直面するバズ。
ファニーな印象のおもちゃのCMと、深刻な表情のバズのコントラストがぐっとくる。誇り高いバズが、おままごとをしたり、まぬけな表情になったりするのが面白くもあり、哀しくもあり。一言では表せない。

・「ただ、落ちているだけさ」
正直、シドの極悪非道な悪ガキっぷりに対して、あの結末はあっさりしすぎなんじゃないか、と思うし、ご都合主義的すぎないかとも思う。
しかし、ここからのクライマックスである。
わずか20分だかそこらの間に、犬に追われ、仲間に見放され、乗っているラジコンカーのバッテリーが切れ、とピンチが立て続けに起きるのだ。
ここまでも、新入りのバズとのスペックの差に自信を失ったウッディ、自分が量産型のおもちゃに過ぎないと知ったバズの姿が描かれていて、
いよいよ「もう、成す術はないのでは…」と諦めかけたその時、ウッディの機転で2人は空を飛ぶ。
前半でウッディが放った「ただカッコつけて落ちているだけじゃないか」という嫌味を受けて、自嘲気味に、でも少し誇らしげに「ただカッコつけて落ちているだけさ」とつぶやくバズの顔は必見。
対立関係にあった2人が、お互いの長所も欠点も認めてバディのような関係になった瞬間だと思う。
それにしても、バズの落下の華麗なこと。おかげで泣くには至らないのが、「あくまでエンターテインメント作品ですよ」という気概の現れなのか。

●おもちゃの小さな世界が見せる「無限」の可能性
一部のシーンを除けば、この物語はたかだか数100m圏内のわずか数日の出来事に過ぎない。
外国の風景とはいえ、よく見る風景ばかりが映し出される。
なのに、おもちゃの視点を通すことで、よく知っているはずの景色が新鮮で刺激的なものに見えるのがおもしろい。

また、アンディは小さな部屋で、段ボールで建物を作ったり、描いた絵をかざったり、ごっこ遊びをしたり、
と自分の世界を生みだして過ごしている。大人から見れば小さな世界に違いないが、とても豊かな世界だと思う。
(その点はシド兄妹も同じで、ほほえましいものがある)

そして、万能ではないなりに、自分の持てる力を発揮してピンチを切り抜けるおもちゃたち。
ときには自分を無力さに打ちひしがれ、シリアスに自分の存在価値に悩む姿に思わず共感せずにはいられない。
それでも、あのクライマックスを見ると、「自分にもできることがあるんじゃないか」という気持ちがわいてくる。
見終わったとき、「無限の彼方へ、さあ行こう!」と言いたくなるような、さわやかな感動と勇気をくれる映画だ。
あずき最中

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