このレビューはネタバレを含みます
「家族と恋人への愛の違い」と、後半長い問題について
監督の己のセンスを貫いたような映画でした!
『2001年宇宙の旅』にインスピレーションを受けている作品っぽいですね。
幻覚シーンでの抽象的な映像もそうですし、背景のテレビには『2001年•••』の宇宙ループするシーンや、ラストの赤ん坊となったシーンなどが映っています。
キューブリックの映像表現を取り入れているとはいえ、そこにギャスパーノエ監督の独特すぎる色彩やカメラワークのセンスが掛け合わさり唯一無二の映像へと誘ってくれます。
【愛】
オスカーの母親がオスカーに、父親と子供への愛情は別物であるということを伝えるシーンがあります。それは本当に別物なのかということが、この映画のテーマだと考えられます。この映画には母親や妹を性的な対象として仄めかす表現があります。一番最初アパートでオスカーと妹リンダが話すシーンがありますが、リンダをオスカーの恋人だと思った方は多いと思います。妹との距離感にしてはいくらアメリカ人だからといえ、少し違和感を感じますよね。他にも妹とマリオの撫でるように撮られたセックスシーンや、走馬灯で母親と妹で風呂に入るシーンなどがそうですね。
重要なのは、この映画はオスカーの主観と、頭上から眺める神的な俯瞰の二つで構成されていることです。
(主観)
リンダは走馬灯のあらゆるシーンでクマのぬいぐるみを持っていますが、これは妹は幼い子供であり、性的な対象ではないというオスカーの「理性」を表しているのではないかと思います。
(俯瞰)
オスカーはビクターの母親に誘われて事に及びますが、ビクターにバレて怒りを買います。オスカーは自分の母親を寝取られたことによるビクターの怒りや不安感が、頭上からの俯瞰によって初めて理解できます。
実際にビクターに関係がバレたことが原因で警察にドラッグのことを通報され、射殺されてしまいます。これは自分の良心に逆らったことでの「因果」であるということが読み取れます。
【後半長く感じる問題】
レビューでも多かったのが、退屈だったという感想です。正直私もちょこちょこスマホを見ていた時間はありました。同じような画が淡々と続くシーンではバックミュージックもなく少し我慢が必要でした。
しかしラブホテルの部屋を順繰りに映したシーンは、人間が欲望に溺れた地獄を表現したものであり、退屈さや不快さを感じることが監督の狙い通りであるという可能性は大いに考えられます。
僕は少し間延びしすぎたというか、全体としてメリハリがない印象はありました。
【感想】
ギャスパーノエ監督の作品は初めて視聴したのですが、今回その世界観にどっぷり浸かり切ることはできなかったように思います。おそらく、いつかまたあの世界観を観たくなる日が来るような気がするので、次回は部屋を暗くして、お菓子でも食べながらのんびりと観たいと思います。
次は『CLIMAX』を観ようかな。
最後までお読み頂きありがとうございました😊