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七人の侍のkzのレビュー・感想・評価

七人の侍(1954年製作の映画)
5.0
一言に娯楽作品と済ましてしまうには、あまりにも救いがなく重たい、人間の《業》について考えさせられる作品。

今作では、「正義の侍」と「悪の侍」の戦いが描かれているが、両者は過去の合戦が生んだ敗残兵同士。

夢敗れた者同士のさらなる潰し合い。

そこには神も仏もいない。

作中では「正義の侍」が「悪の侍」の撃退に成功したが、正義の側も志村喬の言うように「単に生き残っただけ」ともとれる。

または、先の合戦で死に損ねた魂。現世にしがみつく過程で悪霊となってしまった悲劇の英雄(野武士)を「成仏させた」に過ぎないのかもしれない。序盤の志村喬が頭を丸め、法師の姿をかりたことが意味を帯び始める。

侍達が綺麗に善悪に二分されているのに対して、農民達はその両方を兼ね備えたよりグレーな存在である。

今作の悪役である野武士も、元はといえば《落武者狩りによって生まれた存在》である。落ち武者狩りには、現在の被害者である農民達も参加している(あのイノセントな印象を観客に与える左卜全でさえも)。

農民達は、皮肉にも自らの過失(落ち武者狩り)によって生み出してしまった悪魔に脅かされている。

今作とほぼ同時期の作品『ゴジラ』の一部がオーバーラップする。人類の科学技術(原水爆)によって生まれた怪獣と、それに脅かされる人類の戦いを描いた作品だった。

ゴジラは被害者であり、人類に駆除されてしまうシーンは悲劇でしかなかった。

しかし、今作では誰もが被害者であり加害者であるという点で異なる。

農民たちの負の側面を生み出したのもまた侍だと、三船敏郎(侍と農民のハイブリット的な存在)から説明がなされるからだ。

農民の暗黒面を生み出したのが、侍であり。その侍を農民が狩る過程で野武士が生まれ、さらに農民を苦しめる結果となる。

負の連鎖は続く。

現代も世界中で連鎖し続ける人間の《業》。
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