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流転の王妃のmamのネタバレレビュー・内容・結末

流転の王妃(1960年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

慧生の死の2年後に出版された愛新覚羅浩の自伝を映画化した田中絹代監督作品。
映画では仮名が使われ、嫮生は存在していない設定なので流転の旅は慧生と行われている。

原作が見応えありすぎたので、だいぶギュギュっとしたなという印象だけれど、浩の人生が波瀾万丈すぎるので致し方ないかな。
コンパクトながらも綺麗にまとまっており、品のいい調度品に囲まれた公家華族である侯爵嵯峨家の邸宅や、大宮御所の雅な佇まいなど、特に前半は華やかな映像に酔いしれてしまう(浩ご本人が監修されたよう)

御所での移動する人々を障子に映した影で表現するのが美しかったし、足元だけを映した溥傑と浩の揉み合いで落ちた銃を浩が倒れ込み奪うというカメラワークも斬新だった。

溥儀皇帝邸で行われる宴席での桃色のお衣装が眩しすぎる優美なお姿も素晴らしいのですが、漢奸と罵られ数珠つなぎで縄にかけられてる悲壮な姿でさえ美しいのです、マチ子さま。
婉容皇后(金田一敦子)も華があって見惚れてしまった。

浩以上に苦労が多く、不幸な人生だったであろう婉容皇后。”皇帝は同性愛という趣味をお持ちで...”という浩の自伝にもあるように、夫からは愛されず、阿片に救いを求め、慰めの侍従との間に出来た子も即殺害され、最期は流転の旅先で精神が崩壊したった一人で狂い死にしてしまうという痛ましさ...。

原作の壮大なスケール感をどうやって再現するのだろう...と思っていたのだけれど、延々と連なる広大な山々や赤く染まる夕陽を捉えた映像は素晴らしかった(日中国交回復前だしロケ地どこだろう)
再現の難しそうな義父・醇親王の邸(お伽の国のように桁外れな広大さの豪奢な王族の邸)は、醇親王や義妹(二格格・三格格・五格格)などは登場させないという事で回避したのか、なるほど。

でしたら、大正天皇妃であった皇太后への参殿はラストシーンに繋がる白雪花の種を下賜されるので良いとしても、原作で2ページにも満たない挿話である、秩父宮が訪満された際の飛行場での出迎えシーンは必要だったのかしらとも思う(関東軍の横暴さを表現しているのか、それとも身分の違いを誇示するためなのか...)

慧生の死については多くは語られず、相手についても存在さえしなかったような扱いなのね。
血筋と日中の架け橋の重圧で...という事で済まされてしまっているのが、何とも切なかったな...。

(大映4K映画祭)

2023-79
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