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Improvisation
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『Improvisation』に投稿された感想・評価

✔️🔸『Improvisaion』(4.1)🔸『トワイライツ』(3.9)🔸『天地衰弱説 第二章』(3.5)🔸『man』🔸(3.5)🔸『Ephemera』(3.6)▶️▶️ 

 ハーバードの日本自主制作映画アーカイブ化の紹介第2弾。90年代の愛知芸術文化センターから始まり、その保存復元状態もよく、多様も乱れないスタイリッシュさ・リズムまでも完成度・写る対象や主峰拘りには正しく傑作としか言えなかったし、大島の’70作に対応する出演者学生側作品の噂ばかり永く聞いてた作品の部分を初めて観て、丁寧かコミカル自嘲的なのかなかなか複雑な味わいに興味を改めて抱かせたが、その他ごく短いのが3本で画質はあまり状態はよくなかったが、個性や創造の熱では上回ってたのかも分からない。取り分け今回個人的に観るのを決めた乙部作品は傑出していた。
 『Im~』。画面の明度も安定せず、状態はあまりよくないが、希求の強度の進展が伝わりきて、ゾクゾク伝わり来るものがあり、多くの作品がガス欠になってくるのが、実験(的)映画の恒であることを考えれば驚異的な底力がそなわっている。
 色彩の彩度も薄いようなトーンで描き重ねや多重焼きめあるのか、対称を意識したような太さも持つ線画が自由に、抽象寄りに描かれ、変移してく。作品冒頭に「即興」についての説明文があるが、閃きや感じる反応の自由は常に保たれてる。その淡いイメージは、やがて裸体や性交も時折示してくる。それはあからさまに形の一体化や変容で、性の営みや感じをはっきり示してる。その広がりやうねりは想像を働かせずも美しく機能的。やがてアニメ線は具体的な食べ物や野菜を握り潰し、液体や血状を滴らせも都度してく破壊や崩壊の即物的な力を、コマ撮りやアニメ加えの不自然な力で倍加してく段階へ。そして人間の顔自体を変型くわえやキャンバスとして、色んな物質を部位デフォルメ伸長を載せるのとWらせて、元と加工の差異と暴力を、コミカル味にしてゆく。コマ撮り・反連続撮影の不自然さがその侭愛おしさにもなってく。
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 しかし、一目観た時から圧巻の、美しさ・キレ・趣味の良さ、はやはり『トワ~』だろう。保存も復元も完全で、自然や持ち物色彩もモノトーン家屋もしっかり息をしてる。それは息をのむ程。繰返し掛け時計が現れては指さんとする、係わる(以前から係わってる?)人物も「急いで」「出てくの」の字面を繰返し掲げ促す、3時に電車踏切事故かで既に亡くなってるのか、復旧・葬儀直後・半過去の実家からは1.2階階段も往き来難しく・外へ閉め出しをくらい続ける、(高泉敦子的)半ズボンの少年が、情況や出自を探り感ずるべく、畦道や私道を広く走り続け、当時でも見なくなったモノトーン落ち着いた木造家々や、その中ではカラフルや複層的な時計屋や映画館の前(時に中を)を過ぎてく、似た単調出で立ちの人や子の列に紛れ、歩いた跡を麦わら帽が敷かれ続けるに先立つ様。画面手前や画面脇から、貼り付いたり・張り出し来る物がある。コマ撮り快速快適疾走、逆回しで散った片が舞い上がり半壊全体は戻り、動き対応分解は高速カッティング、あちこち動きや光景の細か過ぎモンタージュ、歩き横フォローのろめ果てなしめや・櫓上からの光景の横ズレ連ね、過去現れ図の果てない羅列と、何かが浮き立つことのない、完全コントロールの無意識必死希求の延々捉え。ラスト走る列車越しに駅名の標札と主人公が写されるが、1965、3時、とかになってるが、事故死以前の戻るべき世界が描かれてたのか、戦前光景まで含みこむような、魅力的な単調さ、を更に踏み込める味わいと才気、が作られ、生活と呪文と幾何の中庸を行き続け、文化遺産に格上げしたい世界がある。完成度高過ぎの感と、括りが纏め過ぎか。今の京都造形芸術大ではないが、当時の愛知芸術文化センターはあらゆる創造の母胎に近かったなぁ、とも回想す。
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 大島作品協力参加の見返りで買ったボレックスで撮った、内容的にも大島作品と呼応の『天地~』。二つの撮影済み缶に「遺書」と記して、野外で首吊りという、自殺か事故か他殺か特定出来ない亡くなり方をした、製作中心者を巡り、グループの他メンバーが、彼の部屋を訪れ、遺された現像済みフィルムと映写機を扱いながら、真相し自説を、各自述べてく内容で何部作の第二部らしい。現像しても黒画面だったのはレンズキャップ取り忘れもするウッカリタイプで、首吊りに見えたは事故、製作ストーリーに入り込んでってつい作中自殺者に成りきり、自分の心構えを見直したら闇だった末に、等諸説飛び交うが、アイツの普段の性格の明るさ・拘りなさからして、考えられないと深刻に捉えないのが主。あまり煮詰まらない。曖昧侭に放置。そのゆとりがいい。
 それよりも映写機扱いのカッティングの丁寧さ・細かさ、女の反応も絡む野外首吊り想像場のカメラワーク・人の動きとカットの積め、は流石と言える程の堂に入ってる。
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 後、人の顔(まわり)や、様々なものら、只捉えてくのに、照明や影の与え方、それらによる、対象の元よりの色や質のニュアンスの変容の可能性巾の不可思議さを浮き出させてく、導きだしてく短編の『man』『Ep~』は、多種が並べられてく留まりなさを考えると、深みは同質も、後者の方が面白みは上か。
Sari
4.0
2026/04/25 愛知芸術文化センター
UNDERGROUND CINEMA FESTIVAL Ⅳ

4月25日の初日、午後からほぼ一日かけての鑑賞は疲れたが濃厚な映画体験であった。

70〜90年代のアンダーグラウンド実験映画30作品以上をニューデジタル版で公開。私的なテーマや実験的な表現を追求し、フィルムで撮影した個人映画や、地元ゆかりの作家の特集した映画祭。
今回の映画祭のテーマとして、事前情報を入手してから映画を見る観客が多い現代の情報化社会で、「予習ゼロ」で知らない映画を知らないまま観て衝撃を受ける映画の原点回帰をもたらすものだった。そして、物語から解放される一種のカタルシスを感じたりもした。

ネットやSNSを開けば、自分がまったく求めていないAI映像が受動的にノイズ化し、それら安易な技術に頼った映像(映画)は、時として映画として昇華されていないとも感じている。そうした意味で昨日観たこれらの自主制作及びアングラ映画は、とても自由で刺激的であった。現代のコンプラでは間違いなくアウトな表現が多い。しかし表現の自由が抑圧された現代では、人の手で作ったエネルギーや温かみが、映画に生命力が感じられた。

H『乙部聖子作品集』(89分)
70年代初頭から8㎜やビデオ作品を多数制作。実験映画、アニメーションなど様々な手法を使い、鋭い映像センスと生々しい身体感覚で自己表現を続けた乙部聖子。特集で一番楽しみにしていた。フェミニズムの視点からも観て非常に興味深く、今こそ再評価するべき作家であると感じた。

『α』(1971・4分)
幼児や葬式がオーバーラップしながら骨壷で終わる処女作。

『Return to Forever』(1972・11分)
乙部聖子の代表作かつ最高傑作。一瞬でも停滞するのを恐れるように次から次へとめくるめく感覚。そこにしかない純化されたイメージがぶつかり合う時•空間。

『白蓮華』(1974・13分)
フィルムのスクラッチや酸による変形を始め、色彩的な加工も駆使してブラッケージから受けた影響をより追究した作品。『Dog Star Man』から強いコズミックな感覚を受けたと語っている。この作品でも音楽から受けたイメージを元に曼荼羅的世界観が展開し、死と生が混在する内的な旅をする

『Improvisation』(1979・9分)
それぞれ異なる手法の5章からなるアニメーション作品。子供用のお絵描きボードや粘土、パラパラ漫画など様々な素材を即興的に展開させる。動物や異形のキャラクターが性的なモチーフを織り交ぜながら次々と姿を変えて出現。予想の上を行くようなイメージの連鎖、グロテスクさとユーモアが同居する乙部聖子の代名詞とも言える作品。

『TEST』(1983・15分)
言葉の語感や語呂の羅列と無意味の意味が発生するおかしみ。言葉遊びを使って次々とイメージを展開するユーモアあふれる一編。

『みなそこにいて』(1985・5分)
乙部はかねてから海の生物に関心を寄せていて、魚がテーマの「上陸」という作品もあるが、この作品では水中カメラを手にし、南海の澄んだ水の中で魚となったかのように水と戯れる。

『昔話か?』(1986・4分)
戦争による災禍で傷ついた子供への眼差し(アウシュヴィッツで横たわる少女の亡骸、顔の中央が大きく損傷した写真が使われる)静かな怒りを込めた衝撃作。“ピースビデオフェスティバル”のための作品。

『胡桃の中の世界』(1988・5分)
小さな胡桃の実の中に多様な生命が内包される。ストップモーションや再撮影を駆使し、次々と動物たちが現れる。

『タラッサ』(1988・10分)
水中撮影や再撮影などの技法を駆使して、めくるめく海中の世界を捉え、明減し且つ増殖する映像のコラージュとした作品。

『星を呑み込んだ話』(1995・6分)
自身の妊娠を題材にした形而上的な考察を含んだ作品。妊婦となった自身の全身ヌードを映し出すセルフポートレートでもあり、自身の声も入るドキュメンタリーのようでもある。

『お逃げお止まり』(1996・7分)
子を宿し「生んだ女」となった私から、かつての「生まない女」だった私へ贈るエクスキューズ(あるいは惜別の辞)。様々なアンビバレントな思いが去来するエッセイ的作品。
この作品のテーマは特に響いた。女性の顔のイラストで、両目•鼻•口の部分が次第に盛り上がり指が出るショットはインパクト大。
錆犬
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2026/04/25 愛知芸術文化センター
UNDERGROUND CINEMA FESTIVAL Ⅳ