s

桐島、部活やめるってよのsのネタバレレビュー・内容・結末

桐島、部活やめるってよ(2012年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

桐島の不在を「キリスト・天皇の不在」とする考察を読んだが、私の解釈は少し違った。
桐島の不在はたしかに学校の生態系を変えた。その不在の真空圧は余波を生み、桐島の影響下にない映画部にまで影響を及ぼした。
が、しかし桐島はキリストではない。影響力が強いとはいえ桐島も生態系の構成要素の一つにすぎず、学校は桐島不在のまま淡々とつづき、現に役のなかった生徒はクラスメイトが一人欠けただけの大差ない日常を送っている。金曜日、月曜日、火曜日……と7パターンしかない学生の生活サイクルはこの先も延々と繰り返されるのだ。同調圧力の恒常性は強く、学生の適応力は高い。桐島という穴はあっという間に埋まり、じきにクラスには以前とさほど変わらない生態系が戻るだろう。
言うなれば、桐島は首をすげ替えたって大差ない日本の総理大臣のようなものではないか。この映画は桐島という真空が元に戻ろうとするまさにその一瞬の切り抜きであって、決して永遠に埋まらぬ穴の物語ではない(と思うのだが、どうだろう、さすがに描写の外を汲みすぎだろうか)。

この映画に悪者はいない。実のところヒーローもいない。クラスには繊細な生態系があり、その中でみな同調圧力に押し合いへし合い窮屈に暮らしている。
ところでそんな生態系からはじき出された者たちがいる。クラスの隅っこで閉鎖的に過ごし、ほとんどいない者のように扱われる彼らは、剣道部の更衣室横の豚小屋じみた小さな空間にまでその居場所を追いやられている。そこは同調圧力からはじき出された者たちの防空壕で、しかしなぜだろう、映画中で最も魅力的に映る場所だった。
むろん彼らの内部にも同調圧力はあり、それはサックス女子との交渉役の押し付け合いにも現れる。ただしそれは本来力を持つはずの部長が雑務を押しつけられるという、なんとも滑稽な形だ。部長はたびたび板挟みの判断を迫られ、ずり落ちる眼鏡を押し上げて苦しまぎれの折衷案を出す。
映画部員らはクラスの生態系に影響力を持たない。それは裏を返せばクラスの誰よりも自由ということだ。人目を気にしない彼らはゾンビの格好で校内を歩きまわる。これ以上さがりようのない評判は血糊塗れでうろつける特権階級でもあり、そんな屈託した屈託ない青春を謳歌する映画部員の輝きにふれて宏樹は涙する。


長々書いたが、感想としては私の肌には合わなかった。人間関係がリアルな分、美形揃いの配役の違和感と芝居じみた台詞まわしの異質感が拭えなかった。よくできたシナリオで様々な対比の影はちらつくが、それらを分析するほど見返す気になれない。とはいえ話題になっただけある、面白い映画だった。
s

s