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それいけ!アンパンマン いのちの星のドーリィのすずQのレビュー・感想・評価

4.7
「それいけ!アンパンマン」の髄すべてを籠めた作品である。

アンパンマンの生みの親・やなせたかしは元々、オトナに向けてあの手この手で多様なメッセージを発信する
「詩人」であり
「作詞家」であり
「漫画家」であり
「放送作家」であり
「イラストレーター」であり
「サラリーマン」であった。

そんなメッセンジャーやなせがクリエイトしたモノの中で一番心血を注いだ作品。
それが、国民的絵本であり国民的アニメである「それいけ!アンパンマン」だと言っても過言ではないだろう。

終戦後――国勢事情、食生活、文化、商品、科学水準…身の回りの全てがひっくり返った激動の時代
そんな中、やなせ青年に一番の衝撃を与えたのは、日の丸を片手に竹刀をふるっていた教官が、星条旗に頭を垂れたことだった。
大日本帝国の掲げる「正義」が本当の意味でひっくり返ったのだ。
それと同時に、やなせ自身が教え込まれた正義は一瞬にして裏返り、人としてのバックボーンもろとも引き抜かれたという。
ゆっくりと下降していくだけの現代ニッポンに住む我々からしたら想像もできないような、まさに革命的な出来事だ。

この時に誰の目にも、誰にとっても正しいとされる、いわば「絶対不変」の正義を模索した結果、生み出された英雄
それが“自分を食べさせるヒーロー"アンパンマンなのだ。

困っている人がいれば善悪問わずに手を差しのべる愛
正しいことのためになら自らの痛みを顧みない勇気
文字通り、身心を削る献身
万国共通にして生の天敵である飢えからの解放
『どんな事情があれ、どんな事態であれ、この四つはまさに「絶対」な正義であり、またあり続ける。』
それが時代を踏み越えた男やなせたかしの結論であり、ヒーローとしてのアンパンマンの全てだ。

そんなやなせ自身が、戦後に経験した生活観を集約した「アンパンマンのマーチ」も、本作を語る上で欠かせない名曲だ。

誰もが一度は思うだろう。
「なんのためにうまれて なにをしていきるのか こたえられないなんて そんなのは いやだ!」
子供向けにしては重くないか?と。
しかし、彼のこのメッセージは、この「今」を日本で生きていくためには心得ておかなければならないことだ。

現在、100年に一度と言われる不景気にあるとはいえ、我々は自由である以上、誰からも干渉はされないのだから、己の身ひとつで幸せを掴まなければならない。
『今』『日本』に生を受けた以上、責任を押し付けられた上で成り立つ自由を享受し『なければならない』。
自己責任で職に就き、
自己責任で結婚し、
自己責任で生存しなければならない。
どんなに不幸でも自己責任。
それが今の日本だ。
そんな荒波に飛び込まなければならない時に、「何が自分の幸せか」「何のために生まれたのか」
全く見出だせていなかったとしたら、死ぬまでの時間を真っ当に使うことができるのか。
幸せな生涯を歩めるのか。
そう思うと、重いことであれ、いつ心に留めておいても早すぎることはないのではないだろうか。
やなせたかしは、そう言っている。

やなせは、このメッセージを歌詞だけでなくほぼ全ての登場人物に籠めている。
全員が明確な目的を持ち、一つの道を極めようと奮闘しているのだ。
「困っている人を助けたい」
「世界中の人々に美味しい天丼を振る舞いたい」
「暗い気持ちの人がいれば楽しませたい」
その目的は様々である。

しかし、根底にあるのは皆同じだ。
「笑顔でいて欲しいし、笑顔でいたいから」
これは、アンパンマンややなせたかし本人がたびたび口にすることだ。

人から必要とされることが嫌いな人間などいないし、
人に喜んでもらって悲しむ人間などいない。
よほど余裕がない限り、人の幸せを歓迎しない人間もいないハズだ。
また、誰からも必要とされないことが、如何に寂しいかを知らない人間もいないハズだ。
人を喜ばせてナンボの仕事であり、人生である。
善行も、仕事も、他人のためであると同時に自分のため。
喜んで、喜ばせて、持ちつ持たれつ幸せに過ごしていく。
そんなやなせの幸福観をも籠めているのだ。

もちろん、そうは思わない人がいても全く不思議ではない。
しかし、本作の和気あいあいとした世界観そのものが「アンパンマンのマーチ」の問いかけに対する、やなせ自身の解答である。

そんな想いも頭の片隅に入れて観て欲しい。
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