りょうた

エドワード・サイード OUT OF PLACEのりょうたのネタバレレビュー・内容・結末

4.3

このレビューはネタバレを含みます

2005年 日本
監督:佐藤真
製作:山上徹二郎(土本典昭、『花子』『まひるのほし』など)
撮影:大津幸四郎
編集:秦岳志(『花子』『阿賀の記憶』『息の跡』など)

パレスチナ問題に対して考えたこともなかったし、恥ずかしいことに知りもしなかった。だが、何も知らない私でも、知るという大それたことは言えないまでも、そういった状況下に置かれた人を見て感じることはできた。パレスチナ人の難民キャンプを訪れた際には、ナレーションでも、おおらかさに驚いたということが言われていたが、まさに、一番危険だと言われていたキャンプのイメージとは相容れない、和気藹々とした雰囲気をしている。外と内のギャップに拍子抜けにも感じさえする。インタビューをする中で、皆が皆、それぞれの思いを抱えているのが分かる。それも、大人ばかりではなく、子供たちにもすでに「思い」(これほど綺麗な言葉では言い表せないほど深く暗い)が芽生えている。このように、日常に生きる姿と、記憶の中で芽吹いた「思い」の二面が対照的に浮かび上がる。一番印象的なものとしては、ユダヤ人のアリーザさんという方のシーンだ。彼女はかつて故郷から逃げてきて、今の場所に定住した。厳格なユダヤ教の彼女は、今でも食事などにこだわっている。彼女の買い物姿を撮った際には、撮影隊に紹介するように、また、聞いてくれた、撮ってくれたことが嬉しいという感じで、朗らかな姿が映されるが、撮影隊が彼女の故郷のラッシュを見せた際には(『阿賀に生きる』からラッシュを被写体に見せることによって関係性を築くということはされている。サイードの妻と娘にも同じことを冒頭でしている。またこれは『極北のナヌーク』を撮影したフラハティから継承したものだといえる。)、眉間に皺をよせ、険しい顔を崩さない。娘や息子はどこかにこやかに映像を見ている。買い物中のアリーザさんと、映像を見るアリーザさん、またにこやかな娘と息子という対比が、記憶の爪痕の傷口が生々しく浮き彫りになる。このような人物の対照的な姿がいくつも写される。それは今作の主人公ともいうべきエドワード・サイードは言わずもがなで、彼の場合はより複雑な様相を呈する。比較文学者の側面、教授の側面、夫や父親の側面、また息子の側面、通訳者の側面、パレスチナ人の側面、音楽家の側面など、それぞれの側面から照らすことによって、より立体的に見えると思いきや、エドワード・サイードの複雑さが露わになる。
今作では音楽と料理が重要な役割をしている。それは一番民族的なものが現れてしまうからではないだろうか。故郷を思いながらも作る料理や、体に染みついた料理、また、生きていくために商売として作る料理や食材。今作でカメラが向けられたものたちのアイデンティティの複雑さを最も語っているのではないか。
今作は佐藤真監督が監督した最後の作品となったが、これほど「お墓」が映っていることからも、彼の最期と全く関係がないとは言い切れない。確固たる何かを感じずにはいられなかった。
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