赤い手やミュゲが言うように「誰も彼もが哀しい」一族の話なのに、演出は異様に淡々としている。
喜劇描写といい、この頃のベッケルはまだルノワールの影響に縛られているようでもある。
ただ傲慢で幼稚な男のようであるトンカンこそ、最も哀しい人間であるというのが残酷。
ジャンを殴るチザンが一瞬笑っているように見えるのも、グッピーの歴史を象徴しているようだった。
トンカンの優しさ(自己防衛でもあったのだけれど)をみたジャンだけが、トンカンの死を受け止める権利があるという、人との繋がりの苛烈さが胸に迫る。
黒猫を使った視線誘導は古典映画的だが、
婚約を拒むミュゼを一斉に見つめる視線、真相を突き止めた赤い手とトンカンを交互に映すショットなどの現代的な演出も混ざっているのは、ベッケル特有のセンスを感じた。