デヒ

311のデヒのレビュー・感想・評価

311(2011年製作の映画)
3.7
2011年3月11日に東日本大震災が起こり、その直後の福島県と岩手県の様子を収めたドキュメンタリー。惨憺たる現場と放射能数値が0.02に過ぎない東京に比べ、100~200倍を超える被害現場。

子どもが小学校にいると聞いたから安全だと思ったが、そうではなかった。
みんなを生かせることは不可能だ。病院も、もう少し可能性がある方に最善を。しかし、なかなか心が変わらない。
マスコミでは悲しい感情を映像に収めようと強要する。しかし、被害を受けた現地人たちはまだ誰かを失ったという喪失感に実感がわかない状態である。「誰を失いましたか」という森達也監督の言葉に涙を見せるよりは淡々とすぐ答える人たち。その後ろに見える惨憺たる現場。
悲しい気持ちもあるが、何をしても家族を捜し出すという気持ちしかないという遺族たち。

大きな喪失を経験した人に質問することで、当時の残酷な記憶を蘇らせること、倫理に反していて道徳的ではないという考えがある。しかし、心を閉じ込めるばかりではなく他人に言うことで癒され、慰められたりすることもあるのではないだろうか。そして、個人的に最近感じることだけど、人の感情は当事者だけが分かるのではないだろうか。他人が判断する問題ではないと思う。 つまり、森達也監督が震災被害者に質問する行動に取材対象者が特に拒否反応を示さなかったら、それはそのまま認められる行動であり、森達也監督を非難できる状況ではないと思う。むしろ私は森達也監督の話し方が、被害者の立場を考慮し共感しながら質問をしていると感じ、悲しみと同時に温かさを感じた。

後半部、災害の中で遺体が発見された。 その様子を見た瞬間、衝撃に口がきけなかった。人が死んだ。

私は日本人でもなく、当時日本にいなかったので、3月11日の被害は計り知れない。 経験していないので。
でも、日本に住んでいる人として、そしてドキュメンタリーを勉強する学生として日本という国を理解するために、向き合う必要があると思う。
被害全てを見極めることは難しくても、共感と慰めは可能だから。これは過去だけで置簿される問題ではなく、現在そして未来とつながるから。日本だけに限った問題ではない。人対人として彼らと連帯していきたい。
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