EDDIE

ラリー・フリントのEDDIEのレビュー・感想・評価

ラリー・フリント(1996年製作の映画)
3.7
ポルノ雑誌“ハスラー”の創業者にして“表現の自由”を求め闘争した奔放な人生。
成功までの道のりはダイジェスト的で物足りないが、彼の厳しい闘いは中盤以降の法廷劇にあり!
髪のあるハレルソンと若手弁護士ノートンの噛み合わないタッグが微笑ましい。

Netflixで目に留まり鑑賞したラリー・フリントの伝記映画。
ポルノ雑誌といえば「プレイボーイ」が有名ですが、今回焦点になっている「ハスラー」は初めて知りました。映画の『ハスラー』は知ってますが。

1人の経営者の成功物語だと思いきや、成功するまではかなりあっさり描かれています。
もともと“ハスラー”というストリップバーを経営していたラリーですが、そのPR誌として会報誌を作ろうと考えます。
それが発展したのが雑誌“ハスラー”なわけですが、写真だけじゃなく執筆記事も必要だという壁に直面するんですね。
そしたら次のシーンではその壁はなかったかのように雑誌が出来上がってるもんだからびっくり。

うわぁ、ダイジェストみたいな映画だなぁ。微妙かもなぁ。と思ったのも束の間。
その後、とある理由により“ハスラー”は訴えられ裁判で係争することに。
この裁判劇が物語の一番の焦点となるんですね。

しかもラリーの弁護を引き受けたのはいかにもヒヨッコみたいなアラン・アイザックマン(エドワード・ノートン)。
最初はラリーの自由な発想に翻弄されっぱなしで、裁判でもやや頼りなさが垣間見えるんですが、彼も徐々に弁護士として強く成長していきます。
裁判でいかにラリーの有利になるような弁護論を展開しても、ラリーが法廷でも自由な発言をして台無しにします。
この噛み合わなさが絶妙に笑えるんです。

アランの「あ〜またこいつやっちまったなぁ」みたいな呆気にとられたり、匙を投げたりする表情が面白い。

あとはラリーと妻アルシア(コートニー・ラヴ)の関係性が見所です。
自由奔放で自分の言動に対して後悔なんてしたことなさそうなラリー。
だけど、終盤に彼は人生において一つだけ後悔をしたと語るシーンがあります。

それは2人の間柄を映画を通して見ていれば理解できます。「2人は愛し合っていた」とか、そんな簡単な言葉では片付けられないぐらいの絆の強さを見せていました。それぞれのことを疑うことなく、常にパートナーのことを信じていたんですね。

裁判でも2人の掛け合いはあまりにも自由奔放です。

合衆国憲法修正第1条。それは“表現の自由”に関する条文。
なんというかラリーって人生ノリみたいなところがあるんですね。
だから、別にハスラーの創刊に関してもジャストアイデアでノリみたいなところがあったと思うんです。
これだけ影響力を持って、しかもまさか裁判沙汰になるなんて思いもしなかったはず。

そんな状況でも、(翻弄される社員や身の回りの人は大変だけど)ラリーは常に自分の信念に従っていました。
宗教の信仰についても同様です。もともと信仰心の強かったラリーも、劇中大きく心境が変化します。その変化についても、実体験に基づいて宗教なんて信用できねーってアッサリ切り捨てるんですね。
これって実は凄いことだと思っていて、宗教ってどんな悪いことが起こっても、神様の試練とか信じれば救われるとか盲信的になっている人って多いと思うんです。
だけど、ラリーの場合は「宗教なんて信じてても神は助けてくれねーじゃねーか」と考えを切り替えるんです。あくまで一番信じているのは自分自身という強さがあるんですね。

とにかくどんなに自分に不利な出来事があっても、自分の意思に従い決して折れないラリー・フリント。
壮絶だけど、きっと楽しい人生だったろうなと思わせられました。一つの後悔を除いて。

※2021年自宅鑑賞26本目
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