memo

風が吹くままのmemoのレビュー・感想・評価

風が吹くまま(1999年製作の映画)
4.7
人生は思い通りにはならない。いくら待ってもおばあさんは死なない、それどころが元気になっているという。電話に出るために村と丘を行ったり来たり。苛立ちを隠せない。男の子に強くあたって傷つける。ふたりの関係はもう元のようには戻らない。

顔も知らない人の死を待つあいだに、知り合いの死を妻からの電話で知る。人の死を望む男が、土に埋もれかけた人の命を救う。亀を足でひっくり返す、彼の見てないところで亀は起き上がって歩き出す。ふんころがしでさえ自分の生を全うしている。彼は「死」を待ちながら「生」のままならなさを知る。あるいは、忙しい日々の中で見えなくなっていた「生きること」を見つめ直す。間違えて、人を傷つけて、何かを失って、自分を見つめ直して、また人生は続いていく。そうやって行ったり来たりながら進むしかない、完璧な人間なんていないのだから。

村を去る彼は、骨(=死の象徴)を川に投げ捨てる。その川のそばには牛(=生の象徴)が映し出されてこの映画は終わる。そういえば、彼は一杯の牛乳に辿り着くことができたのだろうか?

はじめはこの村には牛がいないから牛乳はないと言われるが、丘の穴の中で作業する顔の見えない男との交流を通じて、彼の恋人の元を訪ねることになり、暗闇の中で顔の見えないその女性が牛の乳を絞る間、詩を語る。牛乳をもらって帰る。世話人に聞かれて温かい牛乳を頼む。だけど最後まで「牛乳を飲む姿」が映されることはなかった。髭を剃っているときに画面の端にずっと白い水のコップが映っていて、牛乳の存在をちらちらと感じさせるのも面白い。


足の悪い教師、男の子が置いていったパン、カフェの女性(夫の紅茶を出すことなんて仕事のうちに入らない、自分は力仕事をしているんだ発言を聞いて『オリーブの林をぬけて』で青年が「君のためならなんでもやる、好きなことをしてくれればいい、自分がただ外で仕事をするから」と口説いたのを思い出してふふっとなる。もしかしてあのふたりもいつかこんな会話をしてたりして)、顔が見えない人たちのと交流、牛や羊たち、何もせず村で死を待っていた主人公と仕事がなければ何もしないでただ美しい自然を見るのもいいと語る医師がバイクに乗って黄金の中を走っていく、朝の光と部屋の光、カメラに収めるこの村の女性たちの姿
memo

memo