たと

点と線のたとのレビュー・感想・評価

点と線(1958年製作の映画)
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原作は松本清張『点と線』で、社会派ミステリーの嚆矢。単行本として刊行されると十万部を超すベストセラーとなった。評価としては平野謙の「松本清張は犯行の動機づけにリアリスティックな状況設定をおこなって、わが推理小説界に文学的な新風をもたらしたのである。(中略)松本清張の推理小説以来、社会派推理小説という新造語が流布された。」(『点と線』単行本1951年5月)、松本鶴雄の「それは推理小説におけるリアリズムの定着の始まりである。」(松本鶴雄『点と線』論)、中島河太郎の「そこには形骸だけの人間は登場しないし、簡明で印象的な描写力に支えられて、従来のお粗末なプロット主義に憚らなかった読者に新鮮な魅力となった」(志村有弘『松本清張事典』)に代表される。また、発表当時世間では課長代理のような中間管理職の不審死が相次いでいた(1955年5月7日の毎日新聞にある「課長代理が飛込自殺」という見出し、1953年のドミニカ輸入砂糖の割当問題に絡んだ汚職事件による農林水産省課長の自殺等。後者は「点と線」単行本化の一ヶ月後「ある小官僚の抹殺」という短編小説に書かれる)。

寒い時期に寒い場所での心中、心中へ向かう道中での「御一人様」という列車食堂の領収書。捜査の初期段階で判った、不審とまでは言わないが、まぁそんな事もあるだろうと見逃してしまうような些細な〈点〉。事実、捜査方針としては心中だろうとの見通しだった。ただ一人、鳥飼刑事を除いて。容疑者として挙がった被害者の上司を調べるため鳥飼刑事から東京の三原刑事へ引き継ぎ調査は続けられる。
ホームズだとかエラリー・クイーンのような超人的な推理力を持った訳では無い、くったくたのスーツを着古した、凡骨な刑事。それがなぜ事件解決にまでたどり着けるかと言うと何より足で気になる〈点〉を集めて行き、その〈点〉を結びつけて〈線〉にするための努力、苦労を厭わなかったからだ。決して天才ではないが故に、仮説を立て一つ一つ検証していくことで事件を調査する。

松本清張が本作を自作解説しており(「推理小説の発想」『宝石』1959年1月号より)、使われたトリックは大きく言えば2つ。
一つは「心中という心理的トリック」。捜査権を発動させないために自殺体に見せかけたいが、一人だけでは弱い。男女二人の自殺体なら心中と受け取られ、捜査しないだろうという心理的トリックを警視庁の鑑識のベテランに確認を取ったという。
アリバイトリックである、当時話題にもなった13番線ホームから被害者二人が電車に乗り込んだ15番ホームを見通せる《空白の4分間》。この存在は松本清張が連載することになった雑誌『旅』の編集者岡田喜秋により知らされた。
アリバイトリックは心理的トリックのために、心理的トリックはアリバイトリックのために互いを必要条件として組み込まれている。そしてこのトリックを思い付いたのは病床に臥せているため旅行に行けず、時刻表を見て旅情気分を味わっていた犯人の妻。妻は嫉妬のために、犯人は社会的地位を守るために罪を犯す。

※原作との改変で気になった点は、原作発表時に評価が分かれた、アリバイトリックのために犯人が飛行機を使ったという可能性を登場人物が誰も思い付かなかった点。これは当時まだ飛行機が移動手段として一般的でなかったから(かなりの高額。作品の発表された1958年の東京から大阪への航空運賃は6300円。国家公務員の大卒初任給は9200円の時代だ)である。飛行機の可能性を潰している映画に軍配が上がるか。
もう一点はラストシーン。原作は社会派と謳われるように組織へのやるせない、どうにもならない気持ちで終えたが、映画では女性の心情にかなり焦点が当てられていた。《心中事件》で始まり、《心中事件》で終わるという構造で映画版も良い。
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