ぺむぺる

この子の七つのお祝にのぺむぺるのレビュー・感想・評価

この子の七つのお祝に(1982年製作の映画)
2.0
良くも悪くも「岸田今日子の映画」。ミステリとしてはかなりもの足りない作品ではあるが、彼女の怪演によってまだ記憶に残るものになっている。それは本来の主役たる探偵役いや犯人を完全に食っており、回想シーンにしか登場しない人物が主役級の輝きを持つという点において、稀有な作品といえるだろう。

アパートの一室で見つかった女性の惨殺死体に端を発する殺人事件。探偵役はルポライターついで新聞記者と、人物がバトンタッチする構成で、ややひねりが効いたものになっている。

「犯人探し」はあっけないほど簡単で、役者の格、演出の仕方からいって観客にはすぐそれとわかる。そのこと自体はたいした問題ではないが、その後の展開が“観客は犯人がわかっている”ことを踏まえたものになっていないのは明らかな欠陥だろう。たとえば「動機探し」や「探偵役と犯人の対決」といった、「犯人探し」以外で物語の吸引力となるべき要素がまるでない。探偵役の調査は、当初から怪しいと思われていた「女占い師」の足取りを追うことに終始し、それがどう犯人につながっていくのか、結局は犯人の物語を紡ぎ出すことしかできていないのだ。

必然的に本作は犯人のドラマにならざるを得ないが、そうなるとかえって探偵役の視点で物語が進むことに苛立ちを覚えてしまう。まるで2時間サスペンスのような鈍重な演出。政界や戦後の混乱といった魅力的な背景も、少し気の利いた設定というくらいの描き込みしかなされておらず、雰囲気を楽しむことすらできない。正直これがあの増村保造監督作品か、と目を疑う出来だ。多少なりとも散りばめられた「観客への秘密」があるものの、その解明は説明口調のセリフの中でなされるのみで映画的な見せ場にはなりえておらず、盛り上がりに欠ける。逆に、(観客はすでに知っている)犯人の正体が明かされるシーンが山場のひとつとなっており、それは小道具の内容も含めて失笑ものでしかない作りだ。

そんな本作の中でもひときわ目を引くのは、岸田今日子演じる犯人の母、高橋真弓の存在感だろう。本作のストーリーは、文字どおり「彼女に始まり彼女に終わる」。その意味で本作は、〈真弓のドラマ〉でもあるのだ。それをはっきり印象づけるのが狂気と正気のあわいを超越したかのような岸田今日子の演技で、本作に面妖な奥行きを与えている。タイトルにもある「通りゃんせ」をまるまる一曲歌わせるなど、岸田今日子でしかなしえない恐ろしい間の取り方であろう。犯人を演じた役者もまた素晴らしくも大仰な演技を披露しているのだが、この岸田今日子を前にして、いくぶん影が薄くなってしまったことは否めない。
※余談:作中でもうひとり別の人物が「通りゃんせ」をまるまる一曲歌うシーンがあるが、それは半狂乱となった犯人の慟哭であり岸田の場合とは趣が異なる。

わたしは「くちづけ」「巨人と玩具」などの初期増村作品のファンであるが、あの頃の作品を表す、大胆・スピーディ・モダンといった形容の仕方は本作にはまるで当てはまらない。どちらかというと若尾文子とタッグを組んで作り上げた作品群のように、“役者の魅力を最大限に引き出すこと”に重点が置かれたものなのだろう。だとすれば、十分にその企みは成功しているといえるが、それは「岸田今日子の映画」であって「増村保造の映画」ではない。そもそも「岸田今日子の映画」であっていいのかも謎だ。彼女は主役ではないのだから。そんな本作が名監督の遺作となったことは、返す返す残念でならない。
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