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JMのnoteのネタバレレビュー・内容・結末

JM(1995年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

西暦2021年インターネットで結ばれた全人類の半数は、電磁波による環境汚染が原因で、不治の病NASに冒されていた。脳内チップに情報を記録して運搬する記憶屋ジョニーは極秘情報を北京からアメリカ・ニューアーク・シティまで運ぶ依頼を引き受けるが、情報を24時間以内にアウトプットしなければ死に至る危険があった…。

サイバーパンクという言葉を流行させたウィリアム・ギブスンの短編小説「記憶屋ジョニー」を映画化した作品。
公開当時、劇場で見たときはスタイリッシュでカッコいい映像のイメージだったが、今見るとB級映画の域。
その原因は残念ながら2021年の現在、本作が見せる未来のテクノロジーを、現実のテクノロジーがアッサリ追い抜いてしまったことにある。
しかし、美術セットや人物の作り出す世界観が、ウィリアム・ギブスンの小説世界を実写で再現しようとした試みた志の高さは、ヒシヒシと伝わるSFの佳作だ。

ジョニーの握る「情報」を狙って、巨大企業・ファーマコム社の手先である犯罪組織ヤクザが、ジョニーへの襲撃を開始する。
その情報とはNASが完治する治療法であり、抗生剤で利益を上げるファーマコム社は治療法を秘密にしようと企んでいた…。
コロナ禍の現在、「もしかしたら、あるかも…」と、少し擽られるストーリーだ。

犯罪や陰謀を現実味のあるタッチで描いた作品が好きな者にとっては、本作の基本ストーリーは「アリ」だろう。
いわゆる巻き込まれ型のサスペンスだ。

本作の不運はハイテク技術の描写にある。
80GBの情報量でジョニーの頭がパンクしそうになるとは…。
公開当時には考えられなかった容量だろうが、脳内インプットでなくても今やメモリーカード1枚で済む。
当時としてはすごく頑張ったCGで描かれるインターネット、VRヘッドセットやグローブも、今や実現済み。
現代のモノと比較してしまうとトホホ…となる。
時代の流れを感じるが、空想の域が浅かったとしか言いようがない。
光線状のムチやサイボーグ神父、高い知能を持った改造イルカなども出るが、それらは突飛過ぎてワクワクするガジェットではない。

それぞれのキャラクターをもう少し丁寧に描けば、魅力的な作品になっただろう。
キアヌ・リーヴスの東洋的な風貌は、東西文化がごった煮にされたサイバーパンク世界にマッチしている。
見た目はカッコいいのだが、死にたくないと必死で逃げ回り、瓦礫の山で自分の不運を嘆く情け無い姿に意外性がある。
「洗濯を頼みたい!帝国ホテルで頼むような洗濯だ!東京の…」というキアヌのアドリブのセリフはジョニーの虚栄心を良く表している。
北野武が演じるヤクザの高橋は、日本刀と銃を両手に凄むラスボス感を出してたかと思えば、NASで死んだ娘を想って涙を流し、改心してジョニー側に寝返ったりする。

ジョニーの用心棒を買って出るほど強い女性は現代的で、ハイテクを危険視するローテク組織の強面のボスは、NASの治療法を無料で世に広めようとする実はイイ人。
身体はゴツいが根は優しい医者など、登場人物はどれも二面性のある愛すべきキャラクターで人間臭い。

監督はアート畑出身のロバート・ロンゴ。
サスペンスやアクションが盛り上がりに欠けるが、初監督ゆえに演出の未熟さがあるため仕方がない。
しかし、本作はサイバーパンクSFの代表作として挙げられることは間違いない。
脳に直接コードを接続してデータをダウンロードするというサイバーな描写を、「マトリックス」より5年も早く実現した画期的な作品。
今後もし「ニューロマンサー」が映画化されるとしたら、必ず踏まえられる作品であるべきとだ思う。
愛すべきB級作品である。
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