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リトル・マーメイドのYSKのレビュー・感想・評価

リトル・マーメイド(1989年製作の映画)
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今までアリエルさんはアリエルさんと呼ぶほどに好きですし、対するアースラもディズニーのヴィランでは三本の指に入ります、ディズニーシーに行けば何を差し置いてでもマーメイドラグーンシアターを楽しむくらいには好きな作品です
そもそもの話として『リトル・マーメイド』を見たことがなかったことを除けば

というわけでふたりの娘との留守番中に垂れ流す作品として選んだわけですが、まさか我々が愛したアリエルさんがこんなにもどうしようもない存在だったとは夢にも思いませんでした

以前に『魔法にかけられて』でもちらりと触れたことですが、「ヒロイン」であり「プリンセス」というのは伊達や酔狂あるいはただの二つ名や職業ではありません、生き方です
例え恋に恋焦がれ恋をするためだけに生きてきた世間知らずでも、愛と優しさと慈愛の心に満ち溢れ、周囲に生息している生き物すべてと会話ができ味方につけられ、その歌とダンスは誰も彼もを魅了し、困ったことがあればひたすら困り悲しいことがあればただただ悲しみ、その気持ちを全面で表現すれば万物が手を差し伸べてくれたうえにひとたび勇気を振り絞れば何もかもが好転する「なろう」でも持ちえないチート能力を振りかざそうとも、「プリンセス」が「プリンセス」として生き、「プリンセス」としての矜恃を守り、例え向こう見ずで無鉄砲な一挙手一投足を繰り出そうとも周囲を幸せにしなければなりません

しかしアリエルはどうでしょう、恋に恋焦がれ恋をするためだけに生きているのは間違いないかもしれません
しかし、彼女の行動原理は王子への求愛しかないのです
神である父より人魚という種族を説かれようとも右から左へと聞き流しあろうことか「ハンサム」だからというただそれだけの理由で
そのために声を差し出し身を差し出し、危うく王国すらも差し出すところだったにも関わらず、彼女は問題の解決するために何もせずただ悲鳴をあげ傍観するのみでしかありません、これが「プリンセス」のやることでしょうか?魔女の甘言に乗せられ周囲を滅茶苦茶にしただけだというのに「プリンセス」というだけでハッピーエンドを迎えるに値する人物には描かれていないように思います

そして逆にアースラを見直しました
もちろん私利私欲のために「プリンセス」をたぶらかし魔道に落とすものの、リスクとリターンはしっかりと説明したうえで約束の違いが発生しないよう契約の内容を記した書面を作成し、しかも不意の事故で紛失破損することがないよう神の一撃すら防いでしまう!
アリエルと王子が結婚しないように邪魔をした?いやいやこれでアリエルや王子を監禁して結婚できなくしたのならば兎も角、アリエルよりも魅力的なプランを用意して王子がそちらを選ぶようにさせるのは企業努力の範疇でしょう
なあに、どうせ顔と声に惹かれただけの薄い愛情ですから困りはしません

というわけでこの作品とアリエルが一気に嫌いになりました
そしてそもそも論として、アリエルがアースラと契約し人間の姿になったときにフラ公やセバ公がトリトンに報告し相談しておけば良かったはずじゃあないですかね?いったい何のための監視役なのだか
あと人間界のコックがヤバくて好き
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