ムギ山

贖罪のムギ山のネタバレレビュー・内容・結末

贖罪(2012年製作の映画)
2.5

このレビューはネタバレを含みます

(昔の日記から)「連鎖する悲劇を5人の女性の視点で描き、人間誰もが隠し持つ毒や心の闇を描きき」(上記サイト)りたかったのだろうけど、ドラマも小説も、それに成功しているようには正直思えなかった。

まず、エミリちゃんが倒れているのを発見した少女たちが、何の説明もなくすんなり4人手分けして教師や交番や親に知らせに行くことにするというのがたいへん不自然である。ただでさえつるむのが好きなあの年頃の女の子が、そういう非常事態に際して別行動はしないだろう普通。また、事件のあとその少女たちが口をそろえて「犯人の顔を覚えていない」と言い張るのにははっきりした説明が必要なのに、それをスルーするのは重大な手抜きではないだろうか(原作には多少触れている部分はあるのだけど、あんなものじゃとても足りないと思う)。

そのうえ主人公の女性たちがたいへん感情移入しにくい方々で、見てると「なんでそんなこと言うのかなあ」とか「あんなことして、悪い奴だなあ」なんて思ってしまい、それぞれの「悲劇的な結末」とやらも「あんなことをやったんだからしょうがないよね」という印象になっちゃうのだ。「贖罪」というより「自業自得」である。

ドラマのほうで言うと、第1話の蒼井優がぎりぎりついていけるくらいで(それでも森山未來に手をかける直前になって「こんなのやっぱり普通じゃないよ」なんて言い出したりして、「え、それ今言うの?」という感じ)、第2話の小池栄子と第3話の安藤サクラはハナからコミュニケーションを拒否しているし、第4話の池脇千鶴は外面はいいが中身は腹黒いという設定で反感しか持てない。

小泉今日子は、事件のあと4人の少女に非常に激しい言葉を投げつけるようなエキセントリックな母親のはずなのだけど、成長した4人がそれぞれだいぶオカシクなっているので、彼女らに再会するときにはかえってまともになっているように見える。だから「時間が経って落ち着いたのかな?」と思っていると、第5話でまたよくわかんない行動をとったりするのでこちらは呆然とするばかり。

そもそも4人の女性が15年後に遭遇する事件というのがもともとの殺人事件とはなんの関係もないので(原作では多少つながりがあるような説明もあるがなにかの必然というわけでは全くない)、彼女らがそれに立ち向かったり立ち向かわなかったりすることが何らかの帰結であるかどうかは本人たちの内心の問題でしかなくて、観客(読者)が彼女らの内心に寄り添うことができない以上「犯罪者が自分勝手な理屈をこねている」というふうにしか見えなくなるのは仕方がないと思う。

この話に描かれた「悲劇の連鎖」が、客観的な(論理的な)関連のある事件のつながりではないというのはつまり、これが運命の悲劇であり、母親の長台詞は「呪い」「予言」として発せられなければならないということである。そうなると母親が個人的にどう考えたり何かを願ったりすることはすでに問題ではないのであって、つまりここで小泉今日子は「あたしは許さない」とか「〜しなさい」とか言う必要はなく、単に「わたしは忘れない。あなたたちも逃げられない」と言うだけで十分、というかそのほうがより強い呪いとして機能したんじゃないかと思う。

この母親の台詞から推測できるように、原作者はこうした物語の構造を自覚的に作ったわけではないようだし、ドラマの脚本もその雑さを受け継いでしまっているように見えるのです。

ドラマでは、蒼井優と池脇千鶴の日常的な演技が抜群。小池栄子は(役柄のせいもあるけど)ちょっと作りすぎな感じ。安藤サクラはステレオタイプな変人をなぞっているだけで面白くもなんともない。小泉今日子は、前述のとおり話によって役の立ち位置が違うのでやりにくそうに見えた。香川照之はいつもの香川照之である。あっ、車で小泉今日子を追いかけて掘っ立て小屋に突っ込むシーンはよかったです。
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