Keiko

恋の罪のKeikoのネタバレレビュー・内容・結末

恋の罪(2011年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

「言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかに
たったひとりで掃ってくる」
田村隆一『帰途』

この詩が登場した瞬間から作品に引き込まれた。この詩を私はどこで知ったのか、大学の講義だったか、とにかく知っている詩だった。
この詩と、カフカの『城』が鍵となる映画で、かなり文学的な角度から肉欲と死を描こうとしているのがわかる。

「言葉」があるから人は自分の想いを伝えることができるし、目から流れる水の意味を知り、そこに秘められた感情に触れることができる。
でも、「言葉」は心を伝える媒介者に過ぎず、人は知っている言葉でしか想いを伝えることができない。もし知らない言葉で想いを伝えられたとしたら、それを理解することができない。

本作で大胆に描かれている“肉欲”は、言葉で表現できなかった感情が爆発した結果だ。
ただ、それを踏まえても、「愛のないセックスには金を取らなければいけない。値段の大小は関係ない。金を取ることで、菊池いずみという言葉が意味を持つ」という美津子の論理には納得できなかった。

お金に困って体を売るしかなかった女性たちと、お金には困っていないのに売春に走る女性たちの間には、大きな隔たりがあると思う。
私には後者を理解することが難しく、美津子の母親が言った「下品」という“言葉”の方に共感した。
それでもこれが「東電OL殺人事件」という現実に起きた未解決事件を元にしている以上、意味不明であり得ないと感じるのは私側の問題なんだ。
こういった世界で生きる人間たちの“言葉”を知らないから理解できないだけなんだ。

これは私が園子温に苦手意識を持つきっかけになった映画で、初めて見たとき私はまだ高校生だった。
7、8年?ぶりに鑑賞してみると、以前ほどの嫌悪感はなく、むしろ園作品の中でも珍しく「面白い」と思って見ることができた。
(『冷たい熱帯魚』や『愛のむきだし』は、「ここまで見たのだから途中でやめるのはもったいない」という心理で頑張って見ていた。思えばそれは、本作ラストで和子(水野美紀)がゴミ収集車を追いかけた心理と通ずるかもね)
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